狭いことも、いいことだ。
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仕事が忙しくなると、まずブログが書けなくなる
結論から言うと、10月から仕事が劇的に忙しくなって、ブログを書くためのリソースがごそっと削られてしまいました。それは単に時間がなくなるというより、思考の余白がなくなるという感覚に近い。
平日のほとんどが仕事で埋まり、終わる頃には頭が完全に使い切られている。
こういう状態だと、一晩寝たところで頭の中がきれいに整うわけもなく、当然のように翌日に響く。いつもは冴え渡っている仕事中も、文章を書くときに言葉が出てこなかったり、会議が多すぎて誰と何を話したのか曖昧になったり。
これさ、老化とかじゃなくて、明らかに「リソース切れ」の症状だと思いたい。だって忙しくなったタイミングと同時に自覚するようになったから。ほんとよくない。
仕事においてもそんな状態だから、日々の小さな変化を記録するはずのブログに向き合う余裕、そんなものはどこかに消え去ってしまう。そして、その残滓がじんわりと積み重なっていくのを、ここ数週間で何度も感じていました。
だから、あえて狭い場所をつくった
状況を変えるために、ひとつ仮説を立てた。
自分を強制的に集中モードへ連れていくには、意図的に篭もる場所が必要なのでは?
というもの。
うちには普段ほとんど使っていない部屋があります。多目的室のようになっていて、在宅勤務時の会議に使ったり、妻がストレッチしたりする場所にもなっている。そんな部屋。
そこに置いていた小さな机を流用して、その一角を作業スペースにした。机の向きを変えて、少しの気分転換とともに。「狭いから妥協した」のではなく、むしろ狭いからこそ逃げ場がなくなる。そんな空間にしたかった。
だから、ディスプレイも妥協せず、最新のXiaomi A27Ui。27インチ4Kで、電源も映像もUSB-Cを1本つなぐだけでOK。意外なほど(失礼)に質もよくて、作業のテンポが自然と上がる。
大げさかもしれないけれど、ここに座ったら書くしかないという状況を仕組みにしてしまうのが、狙いのひとつ。そしてもうひとつは、新しい環境を作って気分転換することで、日々の仕事や作業に新鮮な空気を取り入れること。
そして実際、今これを一気に書けている
そして今、仕事が終わった後、若干の眠気を感じながら、このスペースに篭もってキーボードを叩いている。この文章を息継ぎもほとんどせずに書き続けている。だからこの仮説は当たっていたのだと思う。
頭の中で言葉が転がりはじめて、手が追いつかないくらい。それはやや大袈裟かもしれないけれども、でもそんな感覚。
環境の力って大きいんだな。気分とかやる気とか、その日のコンディションとか。そういうものに引っ張られる前に、まず場所を整えるだけで流れが変わる。そういう意味では、わざわざカフェに出かけて作業することも、同じかもしれないね。
小さなスペースだけど、ちゃんと集中できる。自宅の中にサードプレイスを手に入れた気分。ファーストは自分のデスク、セカンドはダイニングテーブル、そしてサードがここ。
書けない日が続くと、自分の一部が欠けていくような気がしてしまう。書き留めないと、せっかく湧き出た思考を垂れ流しにしてしまう。それはとてももったいないことだ。
でも環境をひとつ変えるだけで、こんなふうにリズムが戻ってくることもある。これからまた少しずつ、日々のことを積み上げていけたらいいね。
——という感じで、忙しさに押し流されないための、小さな抵抗の話でした。ただ、ここでは仕事も驚くほど捗るので、結果的にもっと忙しくなる可能性もある。まぁ、それはそれで困る。








