月刊すたの通信|2018年10月のできごと。

定期的に振り返るって大事。

その月のできごとをまとめて振り返る「月刊すたの通信」の10月号。今月はあまり更新できていなかったので、サクッといきましょう。


30歳になりました。

普段は誕生日を迎えても何事もなかったかのように黙っています。が、十の位が上がるというのは10年に1度しかないので、節目という意味で記事を書きました。

30歳になったといっても、僕の場合は年齢を感じることはないですね。よく聞く「体が重くなる」とか「髪が薄くなる」とか、今のところはありません。むしろ実年齢より若く見られることの方が多いかも。

30歳になりました。 – starnote*
ご無沙汰しております。半月ぶりの更新です。 私事で恐縮ですが、2日前に30歳を迎えました。いよいよ来るぞ…と、この1年間戦々恐々としていたわけですが、いざ迎えてみると、むしろ穏やかな心境です。あきらめたと言い換えることができるかもしれません。 自分の誕生日をアピールすることは滅多に無いのですが、十の位が上がるという節目なので、こうやって記しています。 昭和最後の世代 僕が生まれたのは1988年。元号にすると昭和63年です。 この世代はちょうど昭和から平成に変わる節目で、同級生には 昭和63年生まれ 昭和64年生まれ 平成元年生まれ の3種類が存在します。1週間しかなくてレアな昭和64年生まれと、新人類な平成元年生まれに囲まれて、昭和63年生まれは軽く劣等感を抱えて生きてきました。僕だけかもしれないけれど。 いずれにせよ、この世代は時代が変わっていくのを身をもって体感してきた世代。小学校低学年のときにポケモンが流行りはじめ、音楽を聴く手段としてカセット→MD→iPod→iPhoneという変遷に付き合い、コミュニケーションにはガラケーもスマホもがっつり使ってきました。 また、ゆとり教育2年目で先生方もまだ慣れない中、完全週休2日になったり、「総合的な学習の時間」という何でもありが授業が入ったりと、かなりのびのびと育てられた世代だなーと感じています。 平成30年。 ということはつまり、昭和から平成への境目の世代が30代に突入するということ。平成が終わろうとしているこの時代に、タイミングがいいのか悪いのか、なんとなく皮肉なものを感じます。 そんな世代が30代に 小学校6年生のときに担任をしてくれたK先生という方がいました。 その先生は4月の時点では29歳で、僕らの担任をしている間に30歳になるような、そういう年代。30歳になる誕生日にクラス全員で朝早く登校して、教室の飾り付けを行い、朝礼にやってきた先生を驚かせようと試みたのを覚えています。 当時は考えたこともなかったけれど、今にして思えば、いろんな問題を起こしがちな小学6年生を40人も一挙に束ね、1日中授業をして、保護者にも対応すると。並々ならぬ統率力と臨機応変な機転がなければ絶対に務まりません。

記事にも同じようなことを書きましたが、今の自分が10年前にまったく予想できていなかったように、10年後の自分が何をやっているかなんて見当もつきません。

これからの10年も、きっと大変なことがたくさんあって、嫌なこともいっぱい経験するはずだけど、だからこそ楽しいことが引き立つのだ。そうやって、いろんな人に感謝しながら精いっぱい生きていこう。

一人ではどうしようもないくらい躓いてしまっても、優しい誰かが手を差し伸べてくれる。だから、他の誰かが行き詰まっていたら、何も言わずに手を差し出す。そんな人になれたらいいなーと思っています。


台湾、行ってきた

先週末の土日(10/27〜28)に1泊2日で台湾に行ってきました。ちょうど今日から連載を始めようとしているので、よかったらチェックしてみてください。

週末台湾|プロローグ|心に響く「今」を探す旅 – starnote*
週末に1泊2日で台湾へ。 日本にいればなんでもない週末を、ちょっと特別なものにしたい。だから週末の2日間を使って台湾に行ってきた。 コンセプトは、「心に響く『今』を探す旅」。まだまだ日本国内にも訪れたことのない場所がたくさんあるけれど、海外に行けば自分がいかに井の中の蛙だったか思い知ることができる。そのぶん、より大きく、心に響く。 台北は〈昔からの伝統〉と〈最新の流行〉が混ざり合う都市。発展途上な街だから、相反する新旧のものが絶妙なバランスで成り立っている。 そこには、「伝統がベースとなり、新たなエッセンスが加わることで、最新のものが作り出されていく」というサイクルがある。 日本はそのサイクルを何回も回したせいで、伝統が占める割合はずいぶん薄くなってしまった。 でも、まだそのサイクルが少ない台湾は、まるで水と油のように思える〈伝統〉と〈流行〉が、片方がもう片方の領域を侵すことなく、静かに共存している。 だからこそ、僕らはそのバランスに惹かれるのではないか。 でも、今でこそ伝統と流行が共存しているように見える台湾も、着実に前に進んでいる。 昔からの伝統ももちろん大切だけど、これからの台湾が向かう先を知りたい。理由は自分でもよくわからないけど、ただ知りたいんだ。理屈を説明できなくてもいいじゃないか。 伝統をベースに進化していく。それはつまり、今あるものの上に新しい要素が積み重ねられていく、ということ。「今どのような方向を向いているのか」ということ。 だからこそ、伝統と未来のどちらもバランスよく体現しているのが「最新の台湾」なのだと思う。 旅に目的なんて無くたっていい。 ただその土地の空気を吸い、文化に触れ、自分の中に取り入れる。 そうすることで、今までとはちょっと違う自分に出会える気がする。その少しの差が、時間が経つとだんだん大きくなっていき、広い視野を持って物事を見ることができるようになるのだろう。 だから知りたい。すぐ隣の国で、どんなことが流行しているのか、そこにはどんな暮らしがあるのか、人々はどんなことを考えているのか。 普段の生活から少し離れてみると、凝り固まった思考が解放される。 五感を研ぎ澄まして新しい空気を取り入れ、脳はフル回転する。その結果は新たなアイデアとして姿を現し、次のクリエイティブを生み出すことができる。

台湾にしては珍しく(?)2日間とも天気に恵まれたので、いい写真がたくさん撮れました。これから全5回の連載で少しずつ紹介していければと思っています。小出しにするのは現像が追いつかないだけですが。

また、連載に先立ち、台湾でのApple Payに関して考察記事を書きました。こちらも併せてご覧ください。

日本で登録したApple Payは、台湾で使えるのか? – starnote*
キャッシュレスの方向に社会が進んでいるというのは、どこの国だって同じです。中国でのQRコード決済の普及を見ていると、むしろ先におサイフケータイをはじめた日本の方が遅れているようにも見えます。 たびたびハードルになるのが、キャッシュレスの仕組みが国ごとに分断されていること。日本国内だけを見ても、さまざまなサービスが乱立しているような状況で、外国人にはわかりにくいだろうなーと思います。 世界共通仕様を目指すに違いないAppleでさえ、日本でApple Payをローンチする際には独自仕様として、すでにあった「Suica」「iD」「QUICPay」に相乗りする形となりました。だから海外の人がiPhoneを持ってきても、すぐに使えるとは言い難い。 では逆に、僕ら日本人が海外に行ったときも、Apple Payを使うことができないのでしょうか? 台湾で確認してきたのでレポートします。 おサイフケータイとApple Pay 本題に入る前に、少し前置きさせてください。 日本でおサイフケータイのサービスが始まったのが2004年。Suicaのスタートは、それより前の2001年。いずれもソニーが開発した「FeliCa」という近距離無線通信技術を使っています。 FeliCaは処理速度が速いので、ものすごい数を捌かなければならない日本の改札には不可欠な存在です。おサイフケータイもサービスインから十数年が経ち、「Edy」「iD」「Waon」「QUICPay」「nanaco」などとして、さまざまなお店で使えるようになりました。 一方、海外にもSuicaのような「ピッ!」とタッチするカードがありますが、そのほとんどは「NFC」という方式。「NFC Type-A」「NFC Type-B」の2種類があります。日本でも一部のカードに使われていますが、やはりメインはFeliCaでしょう。 このように長らくガラパゴスな状態が続いていましたが、FeliCaが「NFC Type-F」として国際標準規格に認められたのが、2016年のこと。iPhone 7登場の直前でした。 このあたりの詳しい経緯は、当時のマイナビニュースに掲載されています。 → iPhoneでモバイルSuicaが使えるようになる? – NFC対応スマートフォンにFeliCa搭載という流れ このように、日本ではApple

論文アクセプト

つい先週のことですが、投稿していた論文が無事アクセプトされましたー!

ファーストオーサーのものだけを数えると、2報目ですね。前回と比べると意外とすんなり通りました。文章力が上がってきた、というのも一因ではないかと思っています。

そうそう、こうやってブログを書いていると、文章力を上げるにはどうすればいいのか、よく聞かれます。でも答えは1つなんですよ。要するに、

書くしかない!

ってこと。

自分の言葉で文章を紡ぎ出して、推敲し、頭の中の思考と乖離のない文章をアウトプットする。それを繰り返すしかないんです。これは以前の記事で言ったことと同じ。

7か月かけて無事に論文が採択されたので、その経緯を振り返りつつ、ブログと論文の関係性について考えてみた。 – starnote*
こんなに長くかかるとは思わなかったよ! 先日の月刊すたの通信12月号でもさらっと触れましたが、投稿していた論文が無事採択されましたー!僕の場合、英語の論文が採択されないと卒業できないという由々しき事態に陥ってしまうので、正直ヒヤヒヤでしたよ。何でもない風を装ってたけどさ! 英語論文の採択とPhD 繰り返しになりますが、僕の大学院の場合、博士課程を卒業してPhDを取得するためには英語の論文(Article)を通す必要があります。逆に言ってしまえば、論文を1つだけ通しさえすれば、卒業とPhDが確定するのです。 ここで言う「論文」とは、もちろん英語です。別に英語で文章を書くこと自体は全く苦ではないけれど、論文という『型』にはめて書くのが大変でした。初めての経験だったというのもありますが。 こんな風にブログを書いているときは、思いつくままにキーボードを叩けばいいので、『型』にはめて書くということはあまり意識していません。もちろん、「ちゃんと伝わる文章になっているか」とか、「言ってることが支離滅裂じゃないか」とかは気を配ってますよ。でも、基本的には思いついた言葉を思いついた順序でアウトプットしているだけです。 一方論文では、僕の分野では Introduction → Method → Result → Discussion → Conclusion という流れで書くのが普通。また、各セクションの中にも、文章の流れを軸にした『セオリー』があります。一文ずつ前後との関係を考えながら書かないといけないので、もう大変です。 だからこうやって自由に書けるブログが息抜きになってる気がします。だったらもっと更新頻度上げろよって話ですよね!わかってるよ!! 話を戻します。 僕の場合は、英語の論文が採択されて、それを大学院に提出し、かつ定められた単位と年限を修めていれば、PhDを取得することができます。大変なのは、これらに加えて「日本語の博士論文」を書かないといけない方々。せっかく英語で書いたものを日本語に訳すのって面倒じゃない?(※個人の感想です) だから日本の教育システムは!…とか言うつもりは全くありません。そういうところもあるよ!っていう紹介です。もし博士課程に進もうと思っている人がいれば、進学先はそういう視点で選んでみてもいいかもしれませんね。 論文が採択されるまで

上達の近道なんてあるわけないから、地道に積み重ねていくしかないのです。


最後に

11月上旬は、1週間ほどアメリカに行ってきます。なぜ行くのか、何しに行くのか、ということについては、現地で記事を出せればなーと思ってます。そんなにタイトなスケジュールではないので、普通にブログも書けるはず。

台湾の記事も含め、また来月も楽しみにしてもらえると嬉しいです。では〜!

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