検索順位? PV? 売上? 満足度?
この記事には広告が含まれています。
今日、自分の中で「高品質な記事とは何か?」という問いが浮かんだ。
よく言われるのは、情報の正確性や文章の読みやすさ、SEO的な最適化などが挙げられる。でも、それらを満たしていても、本当に価値のある記事なのか?——ということを深掘りしたい。
ここで一つの基準として、「読者に行動を起こさせる記事」という考え方がある。たとえば、ある商品を紹介して「これ、いいですよ!」と書くことで読者が購入する。これが一般的なアフィリエイトの構造だ。
確かに、何かを買わせることは、記事の一つの成果といえる。でも、それだけが「いい記事」の条件なのか? そんなはずはないし、そんなことがあってはならないとも思う。何かを買わせることを突き詰めると、記事としての本質が矮小化されてしまう気がするのだ。
記事の本当の価値とは?
では、別の角度から考えてみよう。「読者に何かを思ってもらう記事」という視点だ。
人は記事を読んで、ただ情報を得るだけではない。何かを考えたり、感動したり、あるいは「自分も何かやってみよう」と思ったりする。これも立派な「行動」だ。
たとえば、
- あるガジェットのレビューを読んで、「この人の使い方、面白いな」と思う。
- 旅の記事を読んで、「自分もどこかに行ってみたいな」と感じる。
- 思想的な記事を読んで、「こんな考え方もあるのか」と新しい視点を得る。
このように、読者の思考や感情に触れることこそが、本当の意味で価値のある記事ではないだろうか。
記事の「寿命」と価値の関係
情報記事の多くは、時間とともに価値が薄れる。ガジェットのレビュー記事は新製品が出れば古くなるし、SEOを施した記事もアルゴリズムの変化で検索順位が変わる。
でも、「読者の思考や価値観に影響を与える記事」は、何年経っても読まれ続けるはずだと思う。たとえば、哲学的な考察やライフスタイルの変化に関する記事などは、その時々の読者にとって新鮮な気づきを与え続けることができる。そう信じたい。
つまり、「一時的に流行る記事」と「長く価値を持ち続ける記事」の違いを意識して執筆すると、より本質的な記事が生まれるのではないか。ガジェットのレビュー記事であっても後者の視点を意識すると、もっと普遍的な視点となり、そのガジェットが古くなっても読者に「視点」を与え続けることができるかもしれない。
読者との関係性を築くという視点
そして、記事の役割を「情報提供」だけでなく「コミュニケーション」とも捉えるとどうだろうか?
たとえば、読者が「この記事を書いた人の視点をもっと知りたい」と思ってくれるような記事は、単なる情報消費で終わらず、長期的な関係性を生む。自分と似た境遇だったり、同じような考え方を持った執筆者であれば、読者も親近感を覚える。
そうなると、記事の目的は「読まれること」ではなく「また読みに来てもらうこと」にシフトする。信頼関係が築ければ、読者は単なる情報収集のためではなく、「この人の視点を知りたい」という理由で訪れるようになる。そう思ってもらえるような記事を書きたい。
情報の「文脈」を伝える大切さ
単に「この商品よかったよ!買ってみて」ではなく、「なぜそれがいいのか?」という背景やストーリーを含めることで、記事に厚みが出る。
たとえば、カメラのレビューでも「スペックがいい」「写真がきれい」だけではなく、穏やかに自分の思考と体験を共有することで、「このカメラを使うと、こういう写真が撮れて、撮ったときに感動して、家族と一緒に後から見返すと楽しい時間を過ごすことができるから、人生が豊かになりますけど、どうですか…?」というテンションでありたいなと。
だから、カメラのスペックではなく、そのカメラを使ったときに生まれるストーリーに重きを置いて記事を書きたい。
読者の未来に影響を与える記事とは?
記事を読んだ後の読者の「未来」を想像すると、より深みのある内容になると思っていて。
たとえば、「このカメラを買うと、写真が楽しくなる」だけでなく、「写真を通して、家族や友人との思い出がより鮮明になる」「旅先での感動が記録として残り、未来の自分を励ましてくれる」といった視点。
記事の価値は、今の読者の行動だけでなく、読者自身の未来の体験にも影響を与えるものだと考える。その記事を読んだ記憶が頭の片隅に刻まれることがあれば嬉しいし、いつかのタイミングでまた思い出してもらえたらいいなと。数年後にふと、「あの記事のことを思い出した」と言ってもらえる記事を書きたいのだ。
「良い記事」の評価軸を誰が決めるのか?
よく「高品質な記事とは?」という話があるけれど、それを決めるのは誰なのか? Googleの検索アルゴリズム? PV数? クリック率? 滞在時間? 発生した売り上げ? それとも読者の満足度?
もちろんアフィリエイトの仕組み自体は否定しない。でも、それが目的になってしまうと、記事の価値がブレてしまう。目的は「読者に価値を提供すること」。その手段の一つがアフィリエイトであり、広告であり、収益化の仕組みだ。だから、手段が目的化しないようにしないといけない。
だから、実際には、書き手が自分自身で「高品質な記事とは何か?」を定義することが、結果的に良い記事を生むのではないか。つまり、「自分が満足できる記事」を楽しみながら書くことができれば、それが読者にも伝わるのでは?——そう思っている。
高品質な記事とは何か?
これからの時代、ひとつの情報に対する価値はどんどん低くなる。世の中には情報が溢れかえっているし、生成AIによって知識が体系化されると、一次情報に触れることすら不要になるかもしれない。
だから人間にしかできないこと、つまり単なる情報提供ではなく、読者の思考や感情に寄り添う記事が求められると思う。それは、逆説的かもしれないけれど、改めて「個人」としての感覚が重視される時代になるということだ。一般的なことは生成AIにも言えるから、「で、あなたはどう思うの?」の価値が大きくなる。
売るための記事ではなく、読者の心を動かす記事。「買わせること」よりも「考えさせること」。これこそが高品質な記事。僕が重視したいのは、そういう記事を書いた先にある、それぞれの読者自身のストーリーなのだ。