長崎県の佐世保市と西海市の間には「針尾瀬戸」という海峡があります。
日本三大急潮のひとつとされ(ちなみに他の2つは鳴門海峡と関門海峡)、タイミングがよければ渦潮を見ることができます。
その針尾瀬戸には2本の橋が架けられています。名前は「西海橋」と「新西海橋」。
古い方は63年前の1955年に完成し、今でも南北をつなぐ動脈として活躍しています。新しい方は2006年に開通し、「西海パールライン」という高規格道路の一部となっています。
これらの橋の一帯は公園として整備されていて、天気のいい日の散歩コースとしてうってつけなのです。
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「α7 IIIでめぐる、ながさきカメラさんぽ」シリーズはこちらです。
→ α7 IIIでめぐる、ながさきカメラさんぽ〈昼〉
→ α7 IIIでめぐる、ながさきカメラさんぽ〈夜〉
2本の橋
写真奥の赤い橋が「西海橋」。
1955年に開通したそうですが、終戦からまだ10年しか経過していないことを考えると、復興のスピードは凄まじいものだったことが窺えます。
総事業費は5億6,000万円(当時)で、完成時には固定アーチ橋として世界で3番目の長さを誇っており、日本の橋として初めて支間長200メートルを超えた長大橋であった。
「すぐ近くなのに急流のせいで渡れない海峡」を橋でつなぐのは、大変有意義なことだったと思います。長崎県は真ん中に大きな海(大村湾)があるので、この橋が架かることによって長崎−佐世保間の距離が大幅に短縮されました。
また、写真手前が2006年に開通した「新西海橋」です。こちらは地域高規格道路「西海パールライン」の一部として活用されています。
1955年と2006年なので、この空間には約50年の時を隔てて開通した橋が並んでいます。一方が2車線で他方が4車線。アーチの大きさも数も全然違う。
これら2つの橋を眺めていると、その間を埋める技術の進歩はすごいんだなぁ、と思ってしまいますね。
新西海橋の下を歩く
古い方の西海橋は設計も古いためか——あるいは建設当時の技術的な限界なのか——その幅は2車線の道路だけでいっぱいいっぱいです。隅を歩けなくはないですが、それなりに交通量も多いのでちょっと怖い。
一方、新西海橋は高速道路なので橋の上には歩道はありませんが、その下に遊歩道が整備されています。こちらは歩行者専用なので非常に歩きやすい。だから僕がこのあたりを散歩するときは、新西海橋の下を歩くことにしています。
というわけで、今日もこちらに向かいましょう。
駐車場から遊歩道へ。うねうねした道を進みます。
橋の下に辿り着くと、直線の遊歩道。
橋のアーチ部分の横を通ります。複雑な造形です。
左手には西海橋。
21世紀の橋と比べると、その骨組みは細いものです。
右手には小さな集落。
すぐ近くには針尾送信所があります。真珠湾攻撃の「ニイタカヤマノボレ」を送ったとか送らなかったとか(諸説あります)。
中央部には足下が透明になっている部分があります。結構高いぞ…!
この角度からだと力強く見えますね。実際そうなんだけれども。
このあと、丘の上にある展望台にも上ってみました。詳しくは下の動画からどうぞ〜。
Vlogが本編です
今回からは動画も作るようにしてみましたよ。というか、こちらが記事の本編という位置づけです。
いわゆる「Cinematic Vlog」という手法を拝借して作ってみました。写真よりも現地の空気感が強く伝わると思うので、ぜひご覧ください。
この動画も全編α7 IIIでの撮影です。120fpsのスローモーションを多用しています。
桜や渦潮もきれいな公園
西海橋公園は、このような景色だけではありません。タイミングが合えば通年で渦潮を見ることができるし、春は一帯が桜色に染まります。
以前行ったときの写真を掲載しておきますね(こちらはα7 IIIでの撮影ではありません)。
また、子どもたちに嬉しいアスレチックも整備されています。詳しくは公式サイトからどうぞ〜。
長崎県立西海橋公園のホームページへようこそ
西海橋公園
西海橋の両サイド、佐世保市と西海市にまたがった公園です。
道路状況にもよりますが、長崎市内からだと車で1時間〜1時間半ほどです。ハウステンボスに近いので、ついでに寄るのもいいかもしれませんね。
最後に
この記事では、文章+写真に加えて動画も作りました。妥協して中途半端なものを作りたくなくて、手の込んだものになってしまいました。
写真の場合は、RAWで撮ってさえすれば、あとから編集でごまかせる部分も大きいです。一方動画は、編集でごまかせる部分は少なくて、撮影のクオリティに左右されやすい。
なので今後は「撮り方の引き出しを増やす」「編集を手早く行う」「日頃から動画に使えそうな音楽を見つけておく」ようなことが鍵になりそうです。