何度目か分からないけれど。
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8年もブログを書いていると、日頃から何かを書いているのが普通になってしまい、文章を書くことに対してエネルギーを使わなくなります。当初は「よしっ、書くぞ!」を気合を入れて書いていたのに、そんな熱量はすっかりどこかに消え去ってしまいました。
その結果、月に5〜6記事しか出さない、商品を買ってもレビューしない、書こうと思っていたシリーズを書かずに放置して1年以上経ってしまう、といったように舐め腐った状況になったのが今。本当に目も当てられないし、ここまでだらけてしまった自分が恥ずかしい。
そのうえ、先日記事を出したとおり、10月のGoogle検索アルゴリズムの変更で大幅にアクセスが減りました。これは今でも回復していなくて、アクセス数に比例してモチベーションも下がる一方です。普段からアクセス数を追わないと言っているけれど、さすがに寂しいものがあります。
でも、本当にそれでいいの? アクセスが減ったのはGoogleだけのせいだけではなくて、自分がだらけてしまった結果なのではないの? そう言うことだってできるはずで、「だったらなぜ書かないのか?」という問いに対する答えは「ブログに対して熱量がないから」。
熱量さえ取り戻すことができれば、文章力も写真スキルも経済力もブログを始めた当初より明らかに勝っているのに。本当にもったいない。
確かに仕事は忙しい。
そろそろ転職して2年半になるけれど、変化の激しい会社だからいつの間にか古参になり、会社にとってそれなりに重要な仕事をいくつか掛け持ちしています。それでいて新しいことにも取り組まないといけないから、正直めちゃめちゃ忙しい。
仕事でかなり思考のリソースを使い果たしてしまうから、平日の夜にはブログに費やすエネルギーが残っていない。そうやって言い訳をして記事を書かない日々が当たり前になってしまったのです。ほぼ毎日在宅勤務のくせに甘ったれんなよ?
確かに個人ブログの時代は終わりかもしれない。けれどもその一方で、ここまで8年間も多くの時間をかけて取り組んできたものが、時代の流れで徐々に終わっていく様をただ傍観するのは耐えられない。
だからこそ、自分が丹精込めて練り上げてきたstarnote*という色をさらに濃くすることに、もっと熱量を持って取り組んだらいいのではないか。その先にはきっと楽しい何かがある。
以前こんな記事を書きました。
『飽きっぽい大学院生が自分自身に軸を通すためにブログを始め、当初は全然読まれなかったし続ける意義も見出せなかったけれど、そえでも耐えながら続けているうちに楽しくなってきた。
気づけばいつしか5年間も書き続けていて、それまでに自分になかった「新たな世界」が見えてきた。だからこれから先にも楽しい何かがあると信じて、自分が好きなこと、楽しいと思えること、嫌じゃないことを継続する。だから絶対に中途半端な状態ではやめないと決めた』、と。
▶ 飽きっぽい僕がブログを5年も継続できた理由と、その先にあった世界
これは自分自身に対する約束であるとともに、決して忘れてはならない感覚なのです。人間は軽々と楽な方に流されてしまい、当初の決意や目標なんていとも簡単に忘れ去ってしまうから。だから定期的に自分に鞭を打つことが必要なのです。
だからこそ。
もう何度目か分からないけれど、もう一度、熱量を持ってブログに取り組んでみようか。そう言い聞かせながら、自分を奮い立たせてみます。
文章を書くことが好きだし、自分に向いていると思えるから、こうしてブログという体裁を守りながら2024年を迎えようとしているのです。まずは年末、少しくらい無理してもいいからブログに熱量を注ぎましょうか。