気づけば遠いところまで来たものだ。
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博士号取得後に研究職でないところに進んだ事例
僕が博士課程を修了したのは2019年3月でした。4年間の博士課程を修了してから、さらに4年が経ったんですね。後輩たちも大学からいなくなっていき、たぶん今研究室を訪問しても知ってる人はほとんどいないんじゃないかな。もうそのくらい「上の世代」に来てしまったわけです。
大学院を修了してから社会人になり、仕事を通して経験を重ねるにつれ、果たして自分は社会の役に立てているのかと考える場面も多くなりました。
大学院での研究は、サイエンスを追究して「世界初の何かを見つける」ことに重点が置かれていたのに対し、仕事は必ずしもそうではありません。それまでに身につけたスキルや考え方をもとに、必要に応じてアップデートしながら、社会に対してどのような価値を提供できるか。このような視点がないと、そもそも金銭的な利益を生み出すことすらできないから、企業における仕事では重要な視点です。
お金の話に関連すると、国立大学の大学院における研究では、研究費に占める授業料の割合なんて微々たるもので、ほとんどは税金から賄われています。そうやってほとんど税金を使って研究して博士号を取得した以上、その学位にはある程度の公共性が伴うはずです。だからこそ、学位取得後の身の振り方は、少しは気にしないといけない。
そのようなことを考える一方、当然ながら自分を見失ったら元も子もないわけで。だから、極々微力ながら社会の役に立つことができ、自分の精神安定も図ることができるような仕事するのがいいかなあ、と考える自分もいて。
だから、博士課程にいたのと同じ長さが経過したこのタイミングで、ここまで自分がやってきたことと、どのようなことを考えながら進んできたのか、振り返ってみたいなと思いました。博士号取得後にアカデミアでもなく企業の研究職でもないところに進んだ事例のひとつとして、何かの参考になれば。
最初の2年程度はPMDAで新薬の審査に携わった
まず、この4年間で何をしてきたか。ざっくりまとめると、最初の2年ちょっとは、医薬品医療機器総合機構(PMDA)で新薬の審査や治験デザインの相談に関わっていました。その後、医療IT企業で臨床研究や事業開発に携わっています(これは現在進行形)。
PMDAでは中枢神経系薬などの審査をする部署に配属され、大学院での研究テーマだった脳に対する薬物送達の延長上にあるような分野にいました。視点は全然違うので、共通部分は「中枢神経を扱うこと」だけだったけどね。
そこでは、右も左も分からない新卒社会人に対して、日々の仕事のやり方や考え方から、自分と仕事の関わり方といった部分まで、教えられたような気がします。「気がします」というのは、直接的に言語化されていたわけじゃなくて、なんとなく肌感覚として感じ取っただけだということです。
PMDAでの仕事の内容は、以前記事にまとめました。新人は主に治験届調査から関わり始め、治験相談(製薬企業からの治験デザインに関する相談)の担当者をしながら、徐々に審査にも関わっていくようなフローで、コアな部分にまで入っていきます。
ひとつひとつの案件は今考えても非常に重く、膨大な資料を短期間で頭に叩き込み、チームとしての意見にまとめていく作業の繰り返しでした。特に治験相談は製薬企業から送られてくる資料の量が半端ない(それこそ、メインの資料で100ページくらいで、添付資料まで含めると1,000ページは超えます)にもかかわらず、2〜3日で全体像から細かい部分まで把握して、検討会に臨まなければならない。
その中で、博士課程の中で得たスキルを使った場面があったかと問われると、正直なかったかもしれないくらいです。スピード感があまりにも違いすぎて、ひとつひとつの事象を丁寧に掘り下げる大学院と同じ感覚ではいることができませんでした。だたし、当然ですが、サイエンスのコアである「エビデンスをもとに議論する」とか「ロジックを練り上げて説明する」とか「批判的な思考で資料を読む」とか、そのあたりは大学院で鍛えた部分がベースになっていますけどね。
このように、相当ハードな仕事であった一方で、それに見合う報酬は得られなかった。そのうえ、案件の内容に違いはあれど、同じようなフローの繰り返しで、それぞれがとんでもないスピードで進んでいって、多くの人と互いに関わり合いながら進めていく仕事に疲れてしまって、いつの日か心が病みつつありました。自分で気づけただけまだマシだけど。
もちろん、僕がやっていたのは、製薬企業が作り出した貴重な新薬を世に送り出すための重要な仕事です。PMDAで審査した結果を厚生労働省の部会に報告し、最終的に大臣から承認されると、晴れて薬として世に出すことができます。それには大きな社会的意義があるし、公共性が伴う学位を使う仕事として相応しいだろうと。そう思っていました。
でも、その仕事に意義を見出すことはできたけれども、楽しさを見出すことはできなかった。自分の心も荒んでいて、そろそろやばそうだったので、2年ちょっとで辞めることにしました。
まあ、最初のうちから、どうやら楽しい仕事ではなさそうだということは分かっていたんです。だから、そもそも長く続けようと思っていませんでした。あまり深く入り込みすぎても辞めづらくなるし、かといって1年程度で辞めるのもネガティブ評価になりかねないから、せめて2〜3年の経験を積んだ上で、「元PMDA」という肩書きのもとで転職する予定だったんです。
転職活動を実行に移す
そして、それを実行するときがきました。——というのはかなり大袈裟な書き方だけれども、転職活動はタイミングとやる気が重要だと思っているから、これくらい大袈裟に言わないとやってられません。
とりあえず、これまでやってきたこと(博士課程での研究、PMDAで身につけた知識やスキル、ブログを通して得た知見など)を正当に評価してもらえる会社に入りたいと。その上で、自分のスキルをできるだけ多く掛け合わせることができる仕事をしたいと。そのような軸を携えて転職活動を進めることにしました。
転職活動にあたっては、自分では自分自身のことを客観視できない可能性もあったので、キャリアの棚卸しをやってもらえるJAC Recruitmentさんにお世話になることに。結果として今の会社を紹介してもらえたので、この選択はとても幸運なものでした。
現職では臨床研究のリードや事業開発を行う
そして、今の会社に転職したのが2021年8月です。今では大手のIT企業に買収されたけれど、入社当時はまだまだ従業員100人程度のベンチャーでした。
この会社を選んだ理由は、これまで僕が携わってきた「医療」と、これから携わりたい「IT」を組み合わせた事業を展開していたこと。いわゆるヘルステック業界はこれから伸びていくだろうし、早いうちから身を置くことで先行者有利な状況を享受できるかなと思ったからです。そして、僕がこれまでやってきたことを正当に評価してもらえた気がしたから。
買収されたとはいえ、会社としての体裁は従前のまま残っています。そのため、規模の大きな仕事を少人数で回している節はあり、個々人がマルチプレーヤーとしていろんなことをやらないといけないのです。
僕で言うと、まずは臨床研究のリードですね。国から予算をもらってやっている臨床研究のプロジェクトマネージャーとして研究を進めたり、遠隔医療の仕組み作りを見据えたエビデンスを出すために大学の先生方や他企業のメンバーと協調しながら研究を進めたりとか。僕が作った研究計画書をみんなでブラッシュアップして、病院の倫理審査委員会を通すような感じですね。また、ときにはエンジニアを巻き込みながら、研究で使う製品の機能改修の要件定義をしたりとかもします。
その傍らで、大手の医療機器メーカーと一緒に始める事業のポータルサイトのWebデザインを担当し、Adobe XDでワイヤーフレームを組んでエンジニアにコーディングしてもらうとか。開発したソフトウェアを新規の医療機器として薬事申請するために、外注とかも使いながらドキュメント整備したりもしてますね。
あとは、国のプロジェクトに参加しながら報告書を作ったりとか。国のプロジェクトである以上次年度も実施するためには入札というプロセスを踏まないといけないので、そのための提案書を書いたりとか。
それから、弊社のツールを簡単に使えるようなハードウェアを開発するために、議論しながら要件定義した上で、協力会社さんにプロトタイプを作ってもらう、みたいなこともやってるな。まあとにかく、いろんなことをやっています。
働き方もかなり自由度が高く、在宅勤務していることが多いです。家で作業するのはブログ執筆で慣れているから全然苦じゃないし、ストレスはほとんどありません。もちろん、会社に用があるときは出社しますが、せいぜい週1〜2回程度です。
事業内容はもちろんですが、このような働きやすさの観点からも考えてみると、今の会社はとてもいいんだよなあ。うちを買収した大手IT企業は国内のどこでも居住できる制度を実施している会社なので、たぶん出社が強制になることはないはず。というか、出社したところでオフィスに全員座れるスペースがないんじゃないかな。
というような感じで、博士課程やPMDAで身につけた知識やスキルをベースに、他にもいろんな知識を吸収しながら、今の会社で楽しく働いています。そして、ITを使って医療現場の課題を解決するための臨床研究を進め、社会実装するために動いています。まだまだ僕自身は社会に対して明確な価値を提供できているわけではなくて、第一歩となるような種を蒔いている感じかな。
いずれにせよ、これまでのバックグラウンドがないとできない仕事をしているし、このような博士人材の使い方もあるのだなと、博士課程修了当初は考えもしなかった意外な方向性に自分でも感心しているくらいです。
そしてその先へ…?
そしてその先はどうしよう、というのが目下の悩みです。
しばらくは今の会社にいるつもりだけれども、ずっと同じ環境にいるのもよくない気がする。今でも十分高いと思うけど、まだまだ年収を上げにいきたいし、妻からのプレッシャーもひしひしと感じるので、今の会社でいろんな経験を積んだ上で、華麗に転職を決める感じかなあ。年収を上げるには転職がいちばん手っ取り早いからね。
今の会社に転職活動をしたときは、博士課程での研究、PMDAで身につけた知識やスキル、ブログを通して得た知見などを掛け合わせたと書きました。もし次に転職活動をすることがあるのであれば、それに加えて、IT企業で身につけた考え方も自分の武器のひとつになるはずなので、もっと「自分に最適化された仕事」を目指すことができるかもしれないね。
次の4年間も楽しそうな道へ
ここに書いたとおり、そしてここに書いた以外にも、いろんなことがあった4年間でした。
4年後に今のような仕事をしているなんて、博士課程修了当時の僕は全く予想していなかったし、これから4年後の自分も全然想像できないです。もし4年後もブログを書いていれば(書いているつもりだけど)、この記事を振り返りながら批評するのもいいかもしれないね。
最近、時間が過ぎていくのがとてつもなく早いので、4年なんて一瞬で過ぎ去ってしまいそうです。それでも、一日一日を大切にしながら、自分の感性を研ぎ澄ませつつ、楽しそうな道に進んでいきたいと思います。