無数のランタンが煌めき、大変な人出でごった返すメイン会場の湊公園や新地中華街とうって変わり、いちばん奥まった場所にある「興福寺」には静かな時間が流れています。
落ち着いた雰囲気がとてもいいからみんな来ればいいのに、その手前のめがね橋で帰ってしまうようです。もったいない。
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長崎ランタンフェスティバル2019は下の記事にまとめています。興福寺はまとめてしまうのが勿体ないくらい素晴らしかったので、ひとつの記事にしました。
長崎ランタンフェスティバル2019|街全体が橙色に彩られる特別な2週間 – starnote*
→ 長崎ランタンフェスティバル2019|街全体が橙色に彩られる特別な2週間
石橋を渡り、商店街を抜け、住宅街の中へ
「市民会館」の電停で路面電車を降り、中島川方向へと向かっています。このあたりは誰も人がいないですね。
中島川を渡ります。古くからの石橋がたくさん架かっている川です。この場所から下流側に3つ行くと、有名な「めがね橋」があります。
川とは垂直に進み、商店街の中に入ってきました。
さらに住宅街の中へ。このあたりは「寺町」というエリアで、何件もお寺が連なっています。その中の1軒が、今向かっている「興福寺」なのです。
少し進むと、存在感のある門がいきなり現れます。
歴史ある「興福寺」
朱色に塗られた威厳のある「山門」が迎えてくれます。1654年に建てられたものの9年後に全焼 → 1690年に復元 → 原爆で大破 → その後復元したものだそうです。
普段は夕方で閉まってしまいますが、ランタンフェスティバルの期間中は夜9時まで開いています。拝観料は大人300円、中高生200円、小学生100円。
小道を進むと本殿がありました。
少しだけ歴史に触れておきましょう。入口でもらった説明書きには次のように書いてありました。
- 興福寺は、国内最初の黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の唐寺で、その由来は古く、中国・明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人が、1620年ごろ航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まる。
- この時代は、幕府のキリスト教禁令が厳しく、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかかったため、仏教徒であることを証明するために造られた。
なるほど。江戸時代長崎にいた中国人にもキリシタンの疑いがかかり、それを晴らすために仏教のお寺を作った、ということらしい。
だから日本と中国のテイストを合わせ持つような建物なんですね。
では、ここからは写真をお楽しみください。
とても穴場でした
雰囲気もいいし、人も少ないから写真も撮りやすいし、とても穴場でした。めがね橋からも徒歩5分くらいです。この雰囲気が味わえるのはランタンフェスティバル期間中だけなので、ぜひ。
→ 東明山 興福寺
次に読むなら:煌びやかなランタンフェスティバル
長崎ランタンフェスティバル2019|街全体が橙色に彩られる特別な2週間 – starnote*
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ランタンフェスティバルといえば!というような光景を目にすることができるのが、メイン会場の湊公園や新地中華街。こちらの記事では煌びやかな会場の模様をお届けします。