大した理由なんかないけど、人生なんてそんなもんです。
この記事には広告が含まれています。
昨日は、高校時代にサボりまくった結果、2年間も浪人することになったという話をしました。今日は、そのあとのキャリアとして薬学の道を選んだ理由について。
→ 浪人してどん底を見てきたのは、大きなターニングポイントのひとつだった。
浪人中は医学部を目標にして勉強していました。その理由は、「地元から出たくないけどレベルの高い集団に属したかった」というのがいちばん大きいかな。
当時は自分がひとり暮らしをするイメージが全く湧かなかったし、ずっと長崎に住むとなんとなく思っていました。地元から出たいという思いが希薄だったんですね。
と同時に、医師になって患者を助けたい!という思いも、それほど大きくなかったです。手先が器用だから手術とか得意そうだなーという、ただ漠然としたイメージだけで見てました。
1浪目は高校時代にサボっていた反動でセンター試験を(900点満点中)200点くらい上げたけど、目標としていた点数には届かなかった。忘れちゃったけど、800点くらいを狙いにいってたのかな。
このように、1浪目の受験は失敗。
そこで2浪目は戦略の変更を迫られました。たぶん1年で無理だったということは、もう1年かけてもおそらく無理なので、医学部は諦めることに。特段医学を志していたわけではなかったので、案外すんなりと諦めることができたと思います。
長崎大学にある学部で医学部医学科の1つ下のレベルとなると、薬学部薬学科(6年制)です。じゃあ今度は現実的な目標にして、ここを目指そうと。
センター試験の点数の伸びしろを考えても無理のない範囲だったし、長崎大学は僕が苦手だった数学C(行列とか)が不要だったので、かなり現実的な目標でした。
つまり、僕が薬学部に進学したのは、さまざまな妥協の産物だったということです。
とはいえ、別に薬学に全く興味がなかったわけではなくて、薬が効くメカニズムとか、生化学的/細胞生物学的な生体の機構とかを学ぶのは、とても興味深かったです。薬の名前だけは全然覚えられなかったけど。
しかしながら、薬学部にいるからといって薬学にどっぷりのめり込もうとは思っていませんでした。もともと第1志望だったわけではないのに加え、「ひとつのことを継続するのが苦手」という僕の性格にも起因します。
要するに試験期間中だけほぼ一夜漬けで勉強して単位を取り、残りの期間は(講義はちゃんと受けるけど)バイトと遊びに明け暮れていたような感じ。
よく薬学部は忙しいと言われますが、「どっぷりのめり込むのであれば」という条件がつきます。そうでなければ全然忙しくないです。
こんな不真面目な学生だったので、成績は全然よくなかったです。単位さえ取れればいいと思ってた。
ただ、いくら不真面目とは言っても、単位だけは死守しないといけないと思っていたので、留年はしませんでした。6年間のカリキュラムをきちんと6年間でこなしました。
国立大学だから、私立によくある「薬剤師国家試験に落ちそうだから卒業させない」なんてことはないです。さらに卒業試験もなかったので、単位を満たして卒業論文を提出することで、無事に卒業できました。
そのあとは博士課程に進学して薬物送達の研究をしていたというのは、ご存じの方も多いかもしれませんね。このあたりからブログを始めたので、遡ってみるといろんな記事を書いてます。
あるときは国際学会で発表し、またあるときはアメリカの薬学について学んできました。研究業績も人並みには積み上げたつもりです。
と、こんな感じで僕は薬学部に進学し、そのあとの道を進んできました。正直に言って進みたいと強く思いながら進んだ道ではないけれど、そんなに悪くなかったかな?と今では思っています。
医薬品業界はこれからも需要が消えることはないし、薬剤師免許とPhDを持っていたら職に困ることもないはず。だから、これからも薬学というバックグラウンドを強みにして生きていきたいと思っています。