このキーボードとは一生付き合うのだと思う。
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ただ「HHKBで長文を書きたい」がモチベーションの源泉になって、記事がひとつできあがること、結構あるんです。この記事もそうだったり。
これまで何度も書いているとおり、自分に合わなかったらメルカリで売り払えばいいと思って買ったHHKB。いつの間にか僕の手によく馴染むよき相棒となり、気づけば4年半も使っていました。ここまで自分自身に深くインストールされるとは全く思っていませんでした。
▶ 半信半疑でHHKBを使い始めて3年が経ってしまった(昨年の記事)

もちろん、HHKB原理主義者になるつもりは毛頭なく、他のキーボードも使ってきました。それこそMacBookのキーボードは日常的に使っているし、HHKBとMX Mechanical Miniを気分で使い分けたりしている。そして、最近作った小さな作業スペースでは、MX Keys Miniを使っています。
どのキーボードにも、そのキーボードなりのよさがあって、それを否定するつもりは全くありません。とはいえ、特にHHKBに関しては、それなりの愛着とこだわりを持って丁寧に使いたいガジェットとして、これまでずっと使ってきました。
それはなぜだろう?——立ち止まって考えてみると、まさに自分の手の一部であるかのような感覚を持つことができ、それが唯一無二のように思えるから。それゆえ、脳とディスプレイが直に接続されて、脳からディスプレイに文字を転記するようなイメージすら持ってしまいます。
まさに、人間とコンピューターのインターフェイス。デバイスどうしだったら、もちろんケーブルを繋いで直接的にデータをやりとりすることができるけれど、人間とコンピューターはそうはいかない。だから、その間にあるキーボードやマウスが重要なんですよね。そんなことみんな分かってると思うけど。
たとえば、USBやThunderboltの話をするとき、「転送速度が速くて〜〜」「Type-Cだとケーブルの裏表を気にせずに〜〜」というような話題になるじゃないですか。僕は〈手とキーボードの関係〉にこれと同じようなイメージを持っていて、インターフェイスなんだから入力効率を最大化できるものがいい。
その要件をキーボードに落とし込んだとき、感覚的・感情的な話になるから定量的には表しにくい指標も多いのだけれど、やっぱり打鍵感が重要だと思うんですよね。押下圧の数字を見たところで、その感触は、やっぱり実際に打ち込んでみないと分からないものです。

そして、そのような打鍵感に着目すると、やっぱりHHKBには語れる要素が多い。だから惹かれる人も多いのだと思います。HHKBの打鍵感って、ただ「気持ちいい」だけでは語り尽くせなくて。
まず、軽い力で沈み込むストローク。深いストロークなのに、指を落とした瞬間に吸い込まれる感じ。それでいて戻りはしっかりしていて、指先が迷わない。長い文章を書いていても疲れにくいというのは、この特性のおかげだと思っています。
次に、スコスコと鳴る上質な打鍵音。いかにも高級キーボードな、控えめで上品な音。作業していると、このリズムがちょっとしたBGMみたいになって、書くペースまで整えてくれる。過去にも「無限にブログが書ける」という表現を使ったけれど、その源泉はこの音にある気がする。
さらに、打ち込んだ瞬間に脳と繋がるような入力の一体感。キーを打っている感覚よりも、文章が画面に流れ込んでいく感覚のほうが強くなる。これは普通のキーボードでは味わえない体験で、HHKBが唯一無二と言われる所以なんだと思います。メカニカルキーボードよりも、HHKBの方がその傾向は強いと思う。
そして、最後にもうひとつ。他のキーボードを触ると、10分で恋しくなる打鍵感。MacBookのキーボードが決して悪いわけじゃないのに、しばらく使っていると「いや、やっぱりあのスコスコに戻りたい」と思ってしまう。
こういう細かな体験のひとつひとつが積み重なって、HHKBは語れる要素の多いキーボードになっているのだと思います。心が掴まれて離してもらえない感覚、キーボードに対して持ったことありますか?って話。僕もHHKBが以外では経験したことありません。
で、そんなキーボードに出会うことができたのは、「買ってみる」という行動を起こしたからに他なりません。
3万円超えの高級キーボードの部類にありますが、失敗してもいいからお試しで買ってみるという、ある種の「ノリ」が大事だったなと。悩んでいる時点で欲しいのは間違いない。そしてそれはただの物欲ではなく、未知なものを使ってみたいという探究心です。
今、セールやってるっぽいですよ。言いたいこと、分かりますよね?









