希少価値のある人材になるために。
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PMDAを2年4か月で退職
お伝えしているとおり、先日、医薬品医療機器総合機構(PMDA)を退職しました。博士号を取得してから最初の勤務先であり、社会人となってからも初めて働く職場となりました。
しかし、2年4か月という短い期間で退職しました。その理由について、この記事で深掘りします。
もくじ
なお、僕がPMDAでやっていた仕事内容については、以下の記事にまとめました。薬学系の人にもPMDAが何してるのかあまり知られていないと思うので、ぜひご一読ください。
→ PMDAの新薬審査部ってどんな仕事してるの? 元審査専門員が紹介します。
そもそも、なぜPMDAに就職した?
退職理由を説明するためには、まずは僕がPMDAに就職した理由から共有した方がいいかもしれません。ひとことで言うと、「そのあと」のキャリアの多様性があると思ったからです。
一昔前と違って、今では転職が一般的です。ひとつの職場で数年間働き知識と経験を身につけた上で、自分をさらに高みに導いてくれる場所に移動する。終身雇用と比較しても極めて合理的なキャリアの築き方だと思います。
このような時代背景のもとで働くので、自分もいつかは転職するはず。ということは、博士新卒の就職活動時から「そのあとの転職を見据えたキャリア」を考慮した方がいいと考えました。
つまり、博士取得後のファーストキャリアとして、転職時のキャリアの多様性のある仕事を選ぶ。博士新卒の就職活動時においても、このような観点が重要です。
薬学博士の就職先
薬学の博士課程を修了した後に考えられる進路としては、以下のようなものが一般的。ずっと学んできたことを活かして仕事をするというのが共通しています。
- 大学教員(所属している研究室や同じようなテーマの研究をしている研究室の教員となる)
- 製薬企業の研究職・開発職
- 官公庁
- 病院・薬局薬剤師
個人的な信条として、何かを選択するときには考えうる全ての選択肢をテーブルに出した上でニュートラルに判断したいと思っています。そのため、これらの選択肢が自分にとってメリットがあるか、博士新卒の就職活動時に考えました。
大学教員
博士を取った後は大学に残って教員となり研究を続ける、というのが昔からある一般的な進路です。しかし、この進路はポストが限られている。さらに、大学や研究室という狭い世界で仕事をすることになるので、僕は避けたかったです。
実際、博士課程の終了が近づいてくると、とある研究室から教員として迎え入れたいとお声がけいただきました。でも、そもそも大学院での研究テーマはそこまで興味のあるものではなかったので、同じようなテーマで研究を続けても長続きしないはず。そう思って大学教員にはならないことにしました。
製薬企業の研究職・開発職
製薬企業の研究職として就職して研究を続けるというのも、薬学博士にとって社会的意義が大きな進路のひとつです。これまでの研究や博士課程で培ってきた考え方を昇華させ、新薬を生み出す研究に従事する。一貫したキャリアを構築することができます。
また、開発職で治験に携わるというのも、薬学博士のポテンシャルを活かすことのできる仕事です。動物実験レベルで効果がありそうなシーズに対して、ヒトに対する有効性・安全性を検証できる臨床試験をデザインし、エビデンスを蓄積していく。その過程で仮説検証の能力が必要なので、博士が求められている分野です。
とはいえ、製薬企業の研究所は都心には無い場合が多いし、定年まで研究所に籠るのも閉塞感に押しつぶされる気がしました。開発職は東京や大阪の本社勤務であることが多いですが、博士の募集にはあまり積極的ではありません。どちらも避けていたわけではないですが、あまりご縁がなかったというのも事実です。
官公庁
厚生労働省やPMDA、それから都道府県庁においても、薬学博士が活躍できる場があります。厚生労働省では政策を作っていくクリエイティブな立場として、PMDAでは新薬の審査をはじめとした薬事行政の砦として、都道府県庁では地域に根ざした薬事行政に携わる立場として、それぞれ薬学博士の知識や経験を発揮することができます。
特に厚生労働省やPMDAは日本に1つずつしかないので、その中にいる人数もトータルで見ると企業より少ないです。だから「元厚生労働省官僚」や「元PMDA審査専門員」という希少価値の高い人材になることができます。
病院・薬局薬剤師
薬剤師免許を持っていれば、薬学博士を取得した上で病院や薬局で働くという選択肢もあります。僕はあまり詳しくありませんが、最近では病院の薬剤部長になるためには博士号が必須になりつつあると聞いているので、薬剤師における博士号の重要性も増してきているのでしょう。
しかし、僕は薬剤師として現場で働きたくないために博士課程に進学した節があったので、薬剤師になるという選択肢には消極的でした。なぜ薬剤師になりたくなかったかについては、以前記事にした気がします。
→ 薬学生の進路|6年制を卒業して薬剤師に「ならない」という選択肢。
「元PMDA」の希少価値
以上のような選択肢があった中で、なぜPMDAに就職することを選んだのか。それは、より希少価値の高い人材になりたいと思ったからです。
転職市場においては、希少価値の高い人材になればなるほど売り手市場になり、自分を採用したいと考える企業同士が競争することになる。その競争に勝つために、採用企業はお金で釣る。つまり、希少価値の高い人材になればなるほど年収が上がるのです。
せっかく20代の貴重な時間を博士課程に投資したので、30代以降で回収しないと意味がありません。投資対効果のあるキャリアを築くためには、博士号取得後のファーストキャリアが非常に重要であると考えました。
だからこそ、「博士号」という希少価値に対して相乗効果のある「元PMDA」という肩書きが、とても魅力的に思えたのです。博士新卒の就職活動において、そのあとの転職を見据えた結果、PMDAに就職するという道を選びました。
2年働けば、ある程度考え方が身についた
このような考えもとでPMDAに就職し、無事に配属ガチャをクリアして新薬審査に携わることになりました。配属については、これまでの経験をもとに採用時にだいたい決まっていたようです。
PMDAで働く上で重要なのは、背景にある薬学の知識や論理的思考力に加えて、薬事規制に関する独特の考え方を身につけることです。前例を最大限に考慮しつつ、目の前の案件にどのように落とし込んでいくか。その「落とし込み方」「情報の取捨選択の仕方」に対して、PMDAの審査専門員としての勘が必要なのです。
このような「勘」は言語化されていないし、もちろんマニュアルにもなっていないので、案件をこなしながら身につけていきます。長く働けば働くほど勘が養われてくるのは当然ですが、数年働けばある程度のレベルに到達することができます。
僕にとって、PMDA審査専門員としての考え方について「ある程度のレベル」に達するのが2年くらいだったのです。出て行くことを前提に就職している人にとって、あまり入り込んでも身動きが取りづらくなるので、どこかのタイミングで見切りをつける必要があります。
働き始めて2年を過ぎた頃、そろそろ希少価値が高まってきたと思えたので、作戦を実行するタイミングだと判断しました。
なぜ2年だったのか
多くの場合、就職して3年以内に退職した場合は「早期離職」として扱われるそうです。2年4か月で退職した僕もしっかり当てはまります。
結果的に2年4か月での退職となりましたが、就職した当時は3年くらいいるつもりでした。PMDAでやってる仕事はそこでしか経験できないので、自分にとっていい経験になるのは間違いないです。だから、しっかりと経験を積みたいと思っていました。
しかし、PMDAで働き始めてしばらく経ったころ、上司との定期的な面談が組まれました。それをきっかけに、PMDAでのキャリアの築き方を考え始めました。PMDAで偉くなりたいかと問われると、そうでもないなと。
それだったら、出世する気のない職場に長居するよりも、知識と経験がある程度のレベルに達した「2年」というタイミングで転職した方が、長期的に見るとプラスになる。そう判断しました。
ネガティブな要素もあり
なお、上記の判断にあたっては、以下のようなネガティブな要素も少しはありました。いろんな要素をニュートラルに判断して、これ以上PMDAで働くのは精神衛生上よろしくないと思い、転職した次第です。
官公庁と聞くだけでなんとなくイメージがつくと思いますが、以下のような感じです。
- 個人の裁量が全くない
- 同じような仕事の繰り返しに嫌気がさした
- 官公庁特有の固い雰囲気が苦手
- ルールどおりに「真面目」であることが求められる
- スーツを着たくない
これに関してはあまり多くを語るつもりはありません。僕の性格と正反対の人たちが集まっているような組織なので、その組織運営にも馴染めるわけがない。ただそれだけのことです。
まとめ
以上をまとめると、「その先の転職を見越し、希少価値のある人材になることを目的としてPMDAに就職した」と言うことができます。そして、2年を過ぎたタイミングで、いろんな観点から見切りをつけて転職したというわけ。
転職した今、自分と正反対の思想が蔓延っている組織に身を置くのは極めてストレスフルだったと思っています。今は医療ITベンチャーでゆるりと働いていますが、「結果を出せばそれでいい」という雰囲気が大好きです。
具体的に今どのような仕事をしているのかについては、また機会があれば記事にしたいと思います。