記憶に残らないのなら記録しよう。
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記憶に残らないのなら記録しよう
記憶に残らないのなら、いっそのこと記録してしまえばいい。
毎日を忙しく過ごしていると、気づけば1週間、1か月、はたまた1年と過ぎ去ってしまいます。かくいう僕もこの2〜3年は本当にあっという間で、時間の経過の速さに大変驚いているところです。2023年もあと3か月を切っているのが信じられない。
こうして瞬く間に月日が流れるような日々を過ごしていると、一日一日を本当に大切にしないといけないなと思うのです。でも、忙しさゆえに日々の生活の記憶なんて全然蓄積されず、1か月前に何をしていたかなんてすっかり忘れてしまっています。
だから、記憶に残らないのなら記録しないといけない。そうしないと、自分たち家族が生きてきた軌跡が、自分たちの中でさえも「無」になってしまいます。ここまでどうやって辿り着いてきたんだっけ? ということを思い出せないと、これから先の道筋も考えられないような気がして。
そういう思考に苛まれて、こうして自分のブログに日々の思考と体験をアーカイブしているところですが、忙しいと記事を書くのもなかなかハードルが高いのです。だったらせめて、日常の一コマを写真に残しておこうと。それだと一瞬でできるからね。
写真が1枚でも残っていれば、それがトリガーになって記憶が呼び戻されるものです。逆を言うと、1枚も写真がないと、その日のことは二度と思い出すことがないかもしれない。その1枚があるかどうかで全然違います。
目につくところにカメラを置く
だから、日常的に意識して写真を撮るようにしているのです。意識しないと全然撮らないので、常に頭の片隅に置こうとしています。
というのは、まだ完全には習慣として自分に落とし込まれていないから。息をするように写真を撮れればいいんだけど、その域には達していないから、こうして記事にすることで自分自身に対する意識づけにもなればいいと思っています。
それでも、ただ意識するだけでは忘れてしまいそうだから、目につくところ・すぐ手に届くところにカメラを置くことから始めました。幸い、うちには邪魔にならず画質がきれいなコンデジが2台もあるので(RX100M5AとGR IIIx)、気分に応じて使い分けるようにしています。
まあ、最近はGR IIIxの写りに満足しているから、このカメラを使うことが多いです。ちゃんと撮りたいシーンに出くわしたら、α7 IIIとかX-T4とかを引っ張り出してくるけれど。
日常の一コマであれば何でもいい
後になって「ああ、この日はこんなことをしたな」と思い返すための材料を用意しておくのが目的だから、撮る写真は別になんでもいいんです。
その日の家の様子、ペット、食べ物。近所のベーグル屋さんで買ってきたベーグルでもいいし、なんなら駅前で買ってきたケンタッキーでもいい。ありふれた日常の一コマであっても、10年先・20年先であれば懐かしくて愛おしい思い出になるものです。
写真なんてデジタルデータなんだから、いくら撮っても(NASやクラウドの容量は食ってしまうけれども)物理的に邪魔になることはありません。かつてのように撮れば撮るほどフィルム代がかかることもないから、心が動いた瞬間にシャッターを切りまくればいい。
動画もあればより素敵な思い出に
写真のように一瞬で切り取るような手軽さはないけれど、動画の方が被写体が動いているし音も入るし、より濃い素敵な思い出になりますね。
僕はこれまで日常的に動画を撮影することはあまりなかったのですが、最近は意識して撮るようにしています。写真を撮るついでにカメラを動画モードにして10秒くらい構えてその場をキャプチャする——たったそれだけのことなんだけど、ちょっとした面倒くささが心理的なハードルになってしまうんだよな。
今のところはそれを編集してVlogにする予定はないけど、写真と同じようにiCloudフォトライブラリに入れてまとめて管理しています。そうすれば時系列に並ぶし、将来振り返ったときにその日を思い出すためのより強いトリガーになります。
ほんと、動画撮らないと。自分に対する戒めです。
忙しい毎日だからこそ、日常の風景を写真に残そう
忙しい毎日だからこそ、瞬く間に月日が過ぎ去ってしまう。こうして過ごした時間は記憶に残っていないことが往々にしてあるから、意識的に写真に残して思い出すためのトリガーを仕掛けておこう。
その意義や必要性を感じているのに、誰より自分ができていないから、こうして記事にしました。これがきっかけになり、もっと写真を撮るようになればと期待しつつ。