その価値は本当にあるの?
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何年もブログを書いて発信していると、ふと「いつまでこんなこと続けるの?」と思う瞬間がある。やってみたかったから始めたし、慣れたら意外と楽しいし、辞めたいと思わないから続けている。それだけの話なのに、ふと終わりを考える瞬間が来るものだ。
特に何年間と時限を決めずに続けているし、なんなら自分自身の「思考と体験のアーカイブ」を作るつもりで、キーボードを打つ体力がなくなるまでずっと続ける予定でいる。その一方で、続けることに必死に意味を探し、でもその意義を見出せない自分もいて。最近は常に両者が拮抗している。
前述のとおり、このブログは思考と体験のアーカイブであるから、このような思考の過程も記録しておこうと思う。
そもそも、なぜこんなことを考えるようになったのか。
決して、ブログを書くことに対して興味を失ったわけではない。空いている時間を見つけてデスクに腰掛け、27インチiMacに向かってひたすらHHKBを叩く。頭の中の思考が整理され、それを文章に出力していく作業がとても好きだ。そう思えるからこそ、ブログに対する興味は全く薄れていない。
とはいえ、人生という長いスパンで考えたとき、ブログに費やしている時間はとても長い。文章を書いたり写真を編集したりするために、少なく見積もって週に10時間ほどを費やしていると仮定すると、1年は52週間だから520時間にもなる。1年間(8,760時間)のうち、実に6%もの時間を使ってブログを更新しているのだ。
今後もこのペースで続けるとして、この先の人生の6%の時間をブログに費やすことに、どれほどの価値があるだろうか。
1日に7時間くらい眠るとすると、睡眠に費やす時間は1年の30%。年間に240日ほどある平日に9時間働くとすると、仕事に費やす時間は1年の25%。残った時間は1年の45%で、この中で食事をしたりお風呂に入ったり旅行に行ったり、日常生活に充てることになる。
たかが6%、されど6%。
人生の6%の時間を使って、僕はその時間に見合う価値を生み出すことはできているのだろうか。その6%の時間を別のことに充てれば、もっと大きな価値を生み出すことができるのではないだろうか。こんなことを考え始めたらキリがないのは分かっているが、自分に残された時間は有限だから無駄なく使いたいのだ。
答えは出ていない。でも人生は短い。だから、貴重な時間をブログに費やすのは本当に正しいことなのか、気になって仕方がない。
思考と体験のアーカイブを残すと言い張っているが、それは人生の6%の時間を使ってまでやることなのか? アーカイブを残すことよりも、もっと未来を向いた方がいいのではないのか? ただ時間を浪費しているだけではないのか?
確かに、自分のことだけを考えたら、過去の体験を書き記しているにすぎない。しかし、僕が書き記している場所は自分の日記の中ではなく、インターネットだ。だから、僕の思考と体験のアーカイブが誰かに読まれ、誰かの選択の手助けをしているかもしれない。それは明らかに未来志向だから、少しは救われる。
とはいえ、「人生の6%の時間をブログに充てている」という紛れもない事実が、目の前に鎮座している。
ブログを継続して6年が経とうとしている今、改めてその価値を考えるべきなのかもしれない。誤解のないように補足すると、今すぐに更新をやめたり、ブログから距離を置いたりするつもりは全くない。でも、もし自分の考えが変わる瞬間があれば、きっぱりと終える選択をするかもしれない。
2022年は、自分とブログの向き合い方を再考する。そんな年になるのかもしれない。