未来の自分に向けたタイムカプセル。
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自分が生きた証を残したい
小学校低学年の頃だったかな、漠然とこんなことを思ってた。
「せっかく生きていくからには、自分が生きた証を残したい。
だって、生まれてきて、ただ闇雲に時間を費やして、変わり映えのしない歯車のひとつとして社会に消費され、誰の目にも留まらずに一生を終えるのって、あまりにも虚しいじゃないか?
そうならないために、たとえば音楽だったり、絵画だったり、別に何でもいいし目立たなくてもいいんだけど、自分という人間が存在したということを一目でわかるようなものを、どこかに残したい——。」
もちろん一言一句同じことを思っていたわけじゃないけれど、漠然とこんなことを。
1990年代後半だった当時は、庶民の中にインターネットの「イ」の字がちょうど現れてきたようなタイミング。ISDNはじめちゃんの頃だ。
でもブログなんてサービスは存在しなかったし、低学年の子どもにはパソコンなんて触れさせてもらえないくらい、人々とインターネットとの距離があった時代。
それはつまり、発信できる人が今とは比べものにならないくらい限られていたということを意味する。だから「自分が生きた証」を残せるのは、アーティストか、芸能人か、科学者か。限られた一部の人間の特権だった。(結果的に科学者になったんだけど、それはまた別の話)
自分でも発信できる
そして時は過ぎ、現代。
ネットは完全にみんなのものになり、SNSなんて当たり前、ものの5分もあればブログを開設して情報を発信できるような時代になった。もう少しこだわりたければ、サーバーを借りてドメインを取れば簡単に自分の「メディア」まで作れてしまう。
子どものころと比べると天と地の差があるほど恵まれた環境で、ちょっとWordPressをかじるだけで、それなりに見栄えのいいキャンバスを準備することができる。いい時代だ。
だからその真っ白なキャンバスに思考と体験を書き連ねていくことで、「自分が生きた証」を残してみることにした。この先ブログというものがどのような形に進化していくかはわからないけれど、少なくとも書いた文章がきれいさっぱり消えてしまうということは無いだろうし。
こうやってサーバーの中に自分の言葉や撮った写真を蓄積していく。言わば「思考と体験のアーカイブ化」。その時々で考えたことや体験したことを書き連ねていけば、数十年後は立派なアーカイブとなっているはずだ。未来の自分に向けたタイムカプセルのようなものか。
文章として残すのがベスト
アーカイブとして残していき、数年後〜数十年後にまとめて振り返ることを考えると、「文章」という体裁が最も効率がいいのは明らかだ。斜め読みするだけで全体像が把握できるし、検索も簡単で、容量も軽い。
この時代、Vlogを作ってYouTubeにアップするとか、Instagramで写真をシェアするとか、ほかにもやり方はあると思う。でも「アーカイブ化」という目的から逆算すると、多くの人にシェアしてもらうことではなくて、自分の場所に自分の言葉で綴るのが最適な気がした。
これまでの人間の叡智はすべて論文という文章で蓄積されてきたし、これからもそれは変わりそうにない。アナログだろうとデジタルだろうと、最終的な情報の受け手は人間だから、文章の方が処理しやすいはず。昔から人々は文章を綴ることで記録してきたのだから、正統的なやり方に乗っかろう。
せっかく書くならオープンに
こんな風な思いがあって、僕は日々淡々とブログに文章を書いている。誰のためというわけではなく、あくまでも自分のために。
もちろん、自分のために書いた文章が結果的に誰かの役に立つのは大歓迎。だから、クローズドな日記という形ではなくて、ブログに書いてすべて公開している。せっかく書くのなら人の役に立ちたいからね。
こんな思いのもとで運営しているのが、この「starnote*」。書く側がかなり気を抜いているので、読んでもらっている方々も肩の力を抜いてくれていたら嬉しいな。