もはやブログは人生の一部なんだなあと。
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前回の続きです
さて、壮大な自分語りの続きです。
先日書いた記事では、僕がこのブログを始めるに至った経緯から、少しずつ軌道に乗る時期の話をしました。ブログをなかなか継続できずに歯痒い思いをしていたけれど、実際にずっと更新してみると、ある程度読んでもらえるようになりました。
前回は、誰かの役に立つかもしれないという淡い希望のもと、記憶が薄れてしまう前に文章として記録したのでした。すると、その続きの話も聞きたいとリクエストがあったので、書いておきたいと思います。こういう機会にまとめて書いておかないと本当に忘れてしまうからね。
前回の話はこちらです。その続きから始めますね。
→ starnote*開設前夜 〜僕がこのブログを始めた経緯と、その後の話〜
(ある程度)読まれるブログになってきた
最近では、月間PV数を気にしないと言っています。
でも、始めたばかりの頃は(ある程度気にしないことにしつつも)全く読んでもらえないのは悲しかったです。だからこそ、「全く読んでもらえない状態」から「万の位」にまで上り詰めることができると、ブログに対するモチベーションが大きく改善しました。
この頃は、ブログのサイドバーに「自分の中に1本の軸を通すために、このブログをやっている」というようなことを書いていました。これまで、ブログでさえも2回も放置してしまったほど、僕は物事が長続きしない人だったんです。少し手をつけてみただけで満足してしまい、いろんなことに手を出しては投げ出すことを繰り返していました。こんなに飽きっぽいのがコンプレックスに感じていたほど。
だからこそ、今回は途中で投げ出さないと決意した上で、ブログの継続をチャレンジしてみたんです。今振り返ってみると、継続して半年のタイミングで多くの人たちに読んでもらえる状況を作り出すことができたからこそ、そのチャレンジは成功したのだと思います。
ブログというフォーマットを選んだのもよかったかもしれません。ブログには、いろんなことに手を出してみた「過程」や「結果」を細かく書き記すことができます。だから、何かに取り組んで投げ出したとしても、その過程をブログに書いてしまえば、トータルではゼロにはならない。全体を俯瞰して見ると何も投げ出していないことにできるんです。
そんなことを考えながら、2016年が終わろうとしていました。
こうやってブログを成長させていると、先人たちに目をつけてもらえることもありました。最初に声をかけてくれたのは、DRESS CODE.の平岡さんでしたね。自分からはなかなか声をかけられない性格なので、とても嬉しかったです。
後から聞いた話だと、平岡さんがstarnote*を勧めてくれて、monographの堀口さんにも読んでもらえるようになったそうです。ブログを始めるきっかけになった人に読んでもらえるようになったのは、本当に嬉しい限りでした。
さらなる高みを目指して
2017年春、継続して1年が経った頃。
しばらく続けていると、ブログのデザインにも拘りたくなります。はてなブログを使っていた当時、サムネイルや本文はいくらでも拘ることができるけれど、ブログのデザインに関しては、できることの選択肢が少なかったんです。
特に、「トップページに新着記事一覧をタイル状に記事を並べることができない」のは致命的でした。今ではできるみたいだけれど、当時は標準機能では提供されておらず、裏技のようなことをしないといけませんでした。
まあ、裏技に手を出してもいいんだけど、果たしてそれは今後のスキルアップを考えたときに得策なのか? はてなブログのローカルルールを極めるよりは、その学習リソースを汎用的なWordPressに向けるべきでは?
日に日にそのような思いが強くなり、WordPressに移行することを決意。2017年8月のお盆休みに夜通し作業して、データを飛ばしそうになりながらも、なんとか移行することができました。記事のURLなど、ある程度はWordPressに移行することを見据えて作っていたので、スムーズな方だったかもしれません。でも大変だった。
「僕が書きたいことを書きたいときに書くブログ」というテーマを明確にしたのは、ちょうどこの頃だったかな。最初からそのようなスタンスでしたが、はっきりと宣言したという意味で。
WordPressに移行してからは、ちゃんと「ブロガー」を名乗っていい気がして嬉しかったです。はてなブログではできなかったようなデザインを組み(といっても海外テーマを買ってきて日本語化しただけ)、サムネイルのフォーマットも新しくしました。
さらに、なんだか単調に思えてきた「starnote*」のロゴにも手を入れてみることに。starとnote*でフォントの太さを変えてみたらいいんじゃないかと思い、やってみたら意外とよかったので、そのまま採用に至りました。このときに変えたものを今でも使っています。
研究の合間にブログを書く日々
ちょうどこの頃、大学院に進学してから立ち上げた研究も、遠回りをしながらなんとか軌道に乗ってきて、論文化を見据えたデータが出てきました。修士で論文を出す人もいるくらいなので、一般的には遅い方かもしれないけれど、最低限やらないといけないことはクリアかな。
僕の大学院の場合、英文原著論文が査読付きのジャーナルにアクセプトされることは、大学院の修了と博士号付与の条件でした。なので、何が何でも論文化は必須だし、逆を言うと、論文化さえ成し遂げてしまえば2019年3月での修了と博士号付与は約束されます。
ブログを書きながら、論文を書いて、さらにブログも書くと。
最初の論文を書き始めたのはおそらく2017年に入ってすぐだったと思いますが、「1週間ずっと文章ばかり書いている」みたいな週もあって、その頃に文章力が飛躍的に上がったような気がします。今でもよくわからん文章書くだろと言われればぐうの音も出ませんが、少なくとも読むに堪えないレベルからは脱したはず。
論文を書くときは、ブログよりも何倍も気を遣いながら書かないといけません。論文中の全ての文に存在意義があるし、その意義をを説明できないといけない。その上で、全体がとっ散らからないように纏まりを持たせないといけないんです。日中はそんな文章ばかり書いていたので、夜に気の抜けたブログの文章を書くのがいい気分転換になっていました。
論文を書き上げて投稿した後、審査にすごく長い時間がかかってしまい、アクセプトされたのは2017年末。長かったけれど、無事に最低限のノルマをクリアすることができました。よかった。
そして2018年。
ひとまず論文化が終わって肩の荷が下りたと思いきや、残念ながらそんなことはなくて、就活が待っていました。自分を売り込むのが苦手な僕は、もちろん就活も苦手。でもやるしかないでしょう。
製薬企業で研究をすることにはあまり興味がなかったので、選択肢は官公庁か大学教員か、といったところ。名古屋のとある大学で教員をやる話もあったけれど、どちらかというと東京に出たかったので、霞が関の官公庁で働くことにしました。博士卒のファーストキャリアとしては悪くない選択肢です。
もちろん、就活をやっている間もブログは書き続けました。当初は自分に課したチャレンジだったはずなのに、この頃になるとむしろ書かないことが気持ち悪くなってきたり。ブログを書くという行動が日常に落とし込まれすぎて、書かないことに対する罪悪感が生まれてきたんです。
この罪悪感は今でもずっと持っています。数日間ブログを書かない日が続くと、どうして最低限の執筆作業もできないんだと思ってしまうので、それが記事を書く原動力になったりして。いいのか悪いのかよく分かりません。
人との繋がりが生まれる
この頃の僕はまだ長崎に住んでいました。東京では、ブロガー同士で集まってブログを書くイベントがあったりして、ちょっと羨ましく思ったり。
書く場所の制約を受けないWeb上の文章であるはずなのに、それを書いている人は都会に集まっていて、コミュニティを形成していると。地方に住んでいたらなかなかその輪の中に入ることができないんだなあと気づいたときは、悲しいやらもどかしいやら、複雑な気持ちでした。
しかし、2018年4月、そんなコミュニティを主宰していたdripの2人が福岡と佐賀に出張に来ることに。1日フリーの日があったとのことで、福岡に呼んでくれたんです。平岡さんから連絡をもらったんだけど、とっても嬉しかったのを覚えています。
このとき初めて「ブロガー」と呼ばれている方々にリアルで会いましたが、日々の文章から溢れるセンスをご本人からも感じ取ることができて、シンプルにすごいと思ったし、すごく刺激的だったんです。そして、そんな方々にstarnote*を読んでもらえるわ、記事やサムネイルを褒めてもらえるわ、ひとりで試行錯誤しながら進んできた方向性に自信が付いたんです。
自分が書きたいことを書くのが正しいなんだ、楽しいことだけを書くんだ。明確にそう思えてきたのは、このときのエピソードがあったからですね。それからというもの、「自分の読みたい記事を書く」ことだけを追い求めて書き続けることにしました。もちろん、今でもそうしています。
スタバでブログを書く贅沢な時間
2018年頃は、「朝からスタバでドリップコーヒーをテイクアウトして研究室に持っていき、帰りにワンモアチケットを使ってスタバでブログを書く」というのがルーティーンとなっていました。
長崎のスタバは夜になると人がまばらになって、とても作業しやすい空間になるんですよね。家に帰る前にスタバに寄って「執筆以外何も出来ない状況」に自分を追い込み、がっつり作業して、できれば1記事を書き上げると。こうして生まれた記事が何本もあります。
大学院を修了して東京に出るときも、「研究室の帰りにスタバに寄ってブログを書くような贅沢な時間、もう二度と経験することはないんだろうな」と、寂しく思ってしまったくらい。大好きな時間でした。
アメリカの薬学部
時間はあっという間に過ぎていき、気づくと大学院の終わりが見えてきました。
そんな折、大学のとあるプロジェクトでアメリカ・ニューメキシコ州に1週間ほど滞在する機会がありました。そのプロジェクトとは、アメリカの大学の薬学部のカリキュラムや薬剤師の仕事内容を学んでくるというもの。
うちの大学出身の先生がニューメキシコ大学薬学部で教員をしている繋がりで、教員1名・学生3名で訪問することになったのでした。先生から「アメリカ行かない?」と軽いノリで誘われて行くことになりましたが、これは本当にいい経験になりました。
現地で学んできた内容を発信するのも、ブログメディアを運営している僕の使命かなと思って、できるだけ記事にまとめて公開しました(もちろん先方の許可を取った上で)。今となっては自分でも忘れている内容なので、記事化しておいて本当によかったと思います。
→ 日本とアメリカの薬学教育のちがいを学んできた。
→ アメリカの薬局①|薬をつくる「コンパウンド・ファーマシー」
→ アメリカの薬局②|コミュニティファーマシーとドラッグストア
他にも、週末に弾丸で台湾に行ってきたりとかして。学生最後の自由な時間をブログに充てて「自由気ままに書きたいことを書く」ことを繰り返していくことで、それが今のスタイルに昇華されたような気がします。
今回はここまで
という感じで、ブログを開設した後、大学院生時代のエピソードを書き連ねてきました。このあとは、毎日更新にチャレンジした話とか、東京への引っ越しと就職、Yahoo!で記事を書き始めた話、YouTubeには移行せずに頑なにブログを書いている話、などと続きます。
まあ、この後の話も機会があれば書きます。今回はここまでです。
前回:starnote*開設前夜 〜僕がこのブログを始めた経緯と、その後の話〜
次回:書くかも?