静かに始めます。
この記事には広告が含まれています。
最近、iPhoneのホーム画面を整理したんです。本当に必要なアプリだけをホーム画面に置くと、自分の行動変容に繋がるのだろうか?という実験を兼ねて。
余計なアプリを置いてしまうと、ついつい目がいって起動してしまうんですよ。僕の場合はTwitter(X)がその最たる例でして、iPhoneを手にするたびに目に入るものだから、自然と手が伸びてしまいます。だからそれをやめたい。
Twitterを起動すると、無限に流れてくるタイムラインを延々と眺めてしまう。自分にとって何の意味もない、何も生まない内容しか流れてこないのに。そして気づけば時間を溶かし、後悔する。そんな繰り返しはもう嫌なんです。
そう思って、ホーム画面の断捨離をしたんです。Twitterだけじゃなくて、なくても生きていけるアプリはホーム画面から捨て去ることにしました。ただ、アプリ自体はインストールされているので、起動しようと思えば起動できます。
驚いたことに、その効果が自分でもはっきりと実感できるものでした。
iPhoneのホーム画面の1ページ目は、ロック解除したときに必ずと言っていいほど目に入る一等地です。だから、たとえ起動するつもりがなくても、アイコンが目に入っただけで、そのアプリのことを意識してしまう。そんな「サブリミナル効果」がホーム画面の1ページ目にはあります。
だから、ホーム画面の1ページ目に置かないというだけで、自分の意識の中からもTwitterを遠ざけることができる。このようなことを身をもって実感しているところ。
意図的に避けていたわけじゃないんです。でも、視界に入らないことで、存在を思い出すきっかけがなくなり、その結果として自然と遠ざかっていきました。これが僕にとってはとても大きな発見で。
日常的に触れる場所からアプリアイコンを取り除くことで、意識の中からも少しずつ存在が薄れていく。次第に、MacでもTwitterを開かなくなりました。
Twitterを開かないといっても、フォロワーさんとの交流は大切だと思っているんです。
しかし、無限に流れてくる「おすすめ」のタイムラインは、自分とは全く関係ないのに、センセーショナルな話題が多いものだから、ついつい目がいって時間を溶かしてしまう。
そのようなことがなくなっただけで、時間を無駄にしていない感覚がある。自分の内なる自分の内側の静けさが戻ってきた。そのように感じています。
だったら、もっと徹底的に距離を置いてみようと。そう思い立ちました。
せっかく意識の中から存在が薄れているので、それを好機と捉えて、Twitterという場そのものから本格的に離れてみる。どれだけ意識が変わるのか、自分の中にどんな変化が起こるのかを、まるで実験のように観察してみようと。
これは断捨離というより、思考のリセットに近いのかもしれません。他人の言葉に晒される時間を減らすことで、自分の言葉を取り戻したい。だって、思考の起点は常に自分の内側でありたいじゃないですか。
ブログやnoteは変わらず続けます。Twitterを見ないと決めた先に、自分がどのようなことをテーマに記事を書くのか。どのような言葉を紡いでいくのか。その結果をとても楽しみにしながら、ちょっとした実験をしてみるのですよ。
いきなりアカウントを削除するといった極端なことをするつもりはありません。きっとそのうち戻ってくる気もしているし、今回は「少し長めの休暇」のようなものだと思ってもらえたら嬉しいです。
この実験がどう転ぶかは、正直まだわかりません。でも今の自分は、ノイズを遠ざけ、静かな場所に身を置いてみたい気分なんです。
見たくもない言葉に心を乱されるより、自分の内側から出てくる言葉をじっくり育てていきたい。それが日々のちょっとした気づきでも、まとまらないままの思考の断片でもいい。ブログとnoteという「置いておける場所」で、自分の言葉を育てることに注力してみようと思います。
少しだけ環境を変えてみる。その先にどんな変化が待っているのか。どんな結果が出るのか楽しみにしながら、静かな実験を始めてみます。