モチベーションはなくてもいい。
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日々のルーティーン。僕にとってはブログを書くこと。それがうまくいかないときだってある。
そういうときには、「書くことがないときは何も書かなくていいのか?」と自分に問いかけることにしている。 あるいは、もう少し上流から考えると「やる気が出ないときは何もしなくていいのか?」と言い換えることができる。
答えはノー。「書くことがない」「やる気が出ない」と感じてしまうのは主にモチベーションに由来する部分が大きく、クリエイティビティには影響しないからだ。だから最初のハードルを越えて作業を始めると、意外にも作業が捗ることが多い。
そのハードルを越えさせるのは、強制力。仕事のように金銭が発生するものでなければ、究極的には別にやらなくても誰も困らない。だからここで言う強制力とは、自分に対する約束のことを指す。要するに自分に厳しくするということ。
「アイデアが出ないから書くことがない」ことだってある。一見モチベーションは関係ないように思うけれども、これだって結局はモチベーションがないからアイデアが出ないということで、明確な因果関係があると思っている。
事実、この記事だって事前に何も計画もなく、いきなりWordPressの投稿画面を開いてキーボードを叩き始めた。真っ白のキャンバスに向き合っていたのは、アイデアではなく、もちろんモチベーションでもなく、単なる強制力だ。
強制力でもってキーボードを叩き始めたところ、こうして1本の記事が完成しようとしている。無から有を生み出すとはまさにこういうことであり、作業をしながら思考を巡らせて1つの制作物を形成していく。その過程の最初期にモチベーションがあったか、明確なアイデアがあったか。完成してしまえば、そんなことはもはや関係ない。
仮に事前にアイデアを思いついた上で記事を書き始めたとしよう。この場合でも、記事の詳細まで思考を巡らせてから記事を書き始めるわけではなく、文章を書きながら細かい部分を詰めていく作業を繰り返しているに過ぎない。だからもはや最初にあった大まかなアイデアとは別の形になっていることだってある。
となると、最初にアイデアがあったかどうかなんて、記事を構成する小さな要素に過ぎない。だって、書きながら考えたことが大きな部分を占めているのだから。それだったら、別に最初のアイデアがなくても記事は成立するし、クオリティにも影響しない。
結果として1つの制作物をまとめ上げること。これが目的なのだから、最初の取っかかりの部分なんて強制力でもって無理矢理突破させたっていい。重要なのはクリエイティビティであり、モチベーションがなくても発揮することができる。
目的に向かって一点突破で突き進んだ結果、こうして1つの記事が完成しようとしている。やることはいつも変わらない。強制力がクリエイティビティを導くのだ。