定期的に本質に迫ってみる。
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僕はなぜブログを書くのか
記事を書くのもTwitterを運用するのも3日ほど休んでいました。大した理由はなくて、なんとなく放置したかったから。
3日間という短い時間でも離れてみると、自分が書いてきたことやこれから書こうとしていることを俯瞰的に見ることができたような気がしています。今までどんなことを記事にしてきて、これからどのような方向性で運営しようとしているのか。
そんなことを考えているうちに、だんだん本質が見えてきて。「そもそも僕は何のためにブログを書いているんだっけ?」っていう。
いつも言っているのは「自分用のメモを公開することで、誰かの役に立てればそれでいい」ということです。つまり、僕はあくまでも自分のためにブログを更新する。そのスタンスはブログの規模が大きくなっても変わりません。
記事を待っている人がいたとしても(それはありがたいことだけど)、自分のためにならない記事は書かない。逆に、たとえ誰かの役に立つとしても、自分のためにならないと僕が判断すれば書かない。
眠い目をこすって文章をアウトプットして、自分の時間を投資しながら書いているからこそ、自分のためになることをする。シンプルなことだけれど、自分の中で「ブログを書く」ことの本質はこれだと思っています。
YouTuberにはならない
僕は文章を綴るのが好きなので、アウトプットの手段にはブログやnoteが最適です。さらに、情報は蓄積させることに意味があると思うので、そういう意味でも文章が最適。言葉の選び方とか、微妙な表現とかも文章の方が向いている。
情報の受け手としても、流し読みできるから文章の方がいいはずです。最初に全体像を掴んで、時間をかけて読む価値のある情報がどうかを判断して、読みたいと思ったらちゃんと読む。僕はいつもこんな読み方をしているので、文章じゃないとそれは成立しません。
だからこそ、ブロガーからYouTuberに転向している人がたくさんいる中でも、僕の中心はブログで文章を綴ることに変わりはないと思っています。情報の密度は動画の方が上かもしれないけれど、動画では(制作者がそのような構成にしていない限り)最初に全体像掴むことはできない。
そう、動画は最初から最後まで制作者のペースで進んでいくんです。視聴者としては、10分の動画なら自分の貴重な10分を捧げ、視覚と聴覚を集中させなければならない。制作者はその犠牲に答える義務があるけれど、制作者と視聴者の両者のセンスが噛み合わないとうまくいかない。
それに対して、文章は読者のペースで進んでいきます。全体像だけ流し読みして閉じてもいいし、読みたくないところは読み飛ばしていい。もちろん最初から最後まで読み込んでもいい。制作者は読者に対して文章を提示するだけであって、それをどう処理するかは読者の判断です。
だからこそ、情報の受け手(視聴者や読者)のことを思いやるのであれば、文章として提示するべきだと僕は思います。
と、こんな感じで、また文章を書く気になっているので、これからも更新します。たまにはサボるかもしれないけれど、自分のために書いているブログなので自分のペースで進みたいと思っています。