いつかのつぶやきを掘り下げようか。
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今僕は文書を作ることに命をかけている。
いくらペーパーレス化が進んでいるとはいえ、すべての仕事は文書が通貨となって取引される。確かに記録を残すのは大事だけれど、本当にそのすべてが体裁を整える必要があるのだろうか。
このまま定年まで勤め上げることは制度上可能だけど、その選択肢はアリエナイと思っている。
なぜなら、文書を作る作業を繰り返していても、その結果身につくのは「文書を作るスキル」だけだ。これまで叩き込んできた薬学の知識を使って文書に落とし込む作業の繰り返し。ここで自分の成長は止まるんだと思うと、あまりにも虚しい。
こんな考えに至った瞬間、ずっとここにいるのは違うな、と思った。
まぁ、最初からそのつもりだったけど、自分の勘は正しかったんだなと再認識しているところ。だから新しいスキルを身につけたくてPythonの勉強を始めた。
誤解のないように言っておくと、確かに自分が仕事をすることによって、社会に対して多大な貢献ができる。困っている人を助けることができる。日本という国全体に還元できる。
でもさ、自分の仕事なのに、自分に貢献できないんだよな。
だから、今僕が行っている〈シゴト〉というものは、自分にとってみれば「命を削ってお金に引き換える作業」でしかないのだ。こんなスケールの大きい仕事はあまりないだろうから、恵まれてる奴のワガママなのかもしれないけど。
毎日生気を吸い取られてヘトヘトになりながら、与えられた作業を黙々とこなす。その対価として、それなりの報酬が支払われる。これが現代社会のルールだと言われれば異論はないが、心の奥底では納得していない。
最近思っているのは、報酬の対象は「かけた時間」や「アウトプットした成果物」であるべきだということ。生気を吸い取られてヘトヘトになった分は、別に貰わないと割に合わない。
たとえ報酬を上乗せされても、お金は一過性のものだから、あまり意味はない。もっと重要なのは「自分にスキルを染みつかせる」ということだ。生気を吸い取られてヘトヘトになった分は〈スキル〉として貰いたい。
しかし、どうだろう。僕に身につくのは「文書を作るスキル」だけだ。これまでも論文やブログを通して文章を書くスキルは培ってきたので、残るのは「決まったフォーマットに落とし込む」というスキルだけ。
生気を吸い取られてヘトヘトになる割には、手に入るスキルがあまりにも少ないと思っている。
だから、予定よりちょっと早いけど、次に向かって動き出してみようと思った。異分野どうしの融合でイノベーションは生まれるはずなので、その異分野側に回ってみたいな。
これまで培ってきた薬学の知識と、新たに学ぶ知識が、自分の中で核融合のように連鎖反応を繰り返す。そんな反応を作れるように、俯瞰的に生きていきたい。
プログラミングの勉強を始めた裏側にある思いはこんな感じ。引き続き学習を進めよう。