誰にも合わせる必要はないんだ。
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音楽を聴いて思うがままに筆を進める「Music Note」。2回目は[Alexandros]から「アルペジオ」。
僕はドライな人だと言われることがよくある。
同級生であれ、研究室の人であれ、価値観の合わない人とは距離を置けばいい。これまではそうしてきた。でもこの方法が正しいのか確信が持てなかった。
周りには「友だちをもっと大事にした方がいいよ」とか「なんで他の人と仲良くしないの?」といった助言や疑問を投げかけられてきた。
でも同級生全員が友だちだと思ったことは一度もないし、みんなと等しく仲良くするメリットがまるで見当たらない。たまたま同じ環境に生息しているだけというだけの理由で仲良くするのは間違ってると思うし、友だちは選んだ方がいい。だからこのような助言は的を外していると思っている。いろんな考え方があるから否定するわけじゃないけど。
とは言いつつ、こんな風に考えてしまう自分が嫌いで、自己中心的だと思ってしまうことがよくあった。
本当は他の人と仲良くしたいけど逃げてるだけなんじゃないの?と自分に問いかけてみても、心の底からNOという答えが返ってくる。人から嫌われても全くダメージがないし、むしろ好かれたら面倒なことに巻き込まれるから嫌われた方がいいと思っている節もある。
やっぱりこれって人としてあってはならないことで、自分は変なんじゃないかと思っていたし、変わらないといけないのかなーと思うこともあった。
でもこの曲を聴いてはっとした。
誰の真似でもない「あなた」がいるなら
笑われても 嫌われても 染まらないよ
偽って群れるぐらいなら 気ままに1人でいりゃいいよ いりゃいいよ
嘘 偽らずに
なんか、聴いたものがそのまますーっと心の中に吸収されていくこの感じ、久しぶりだな。これまで思ってたことは間違ってなかったんだ、今のままでいいんだって思えた。
付き合う人は自分で選びたいし、自分が成長できて相手のことも高められる、そんな関係を「友だち」って言うんじゃないか。これができないのはただの「知り合い」だ。高められない人間関係を築いても時間の無駄だし、相手の時間も奪ってしまう。しかもその先には何も残らない。それはどちらにとっても不幸だ。
どうやらこんなスタンスを外から見たら「ドライな人」と言うらしく、あまりメジャーな考え方ではないらしい。でも自分は自分でいいじゃないか、ということにこの曲は気づかせてくれた。
だからこれからも、こんなドライな人間関係を築いていけたらいいと思っている。