ここ最近(といっても2〜3日だけれど)、これまで自分が知らなかったブログやメディアに多く触れている。
きっかけは、おしゃれなブログデザイン23選〜参考になる国内外の美しいブログといく記事を見つけてしまったこと。この記事で紹介されているブログがどれもキラキラしていて、読み応えのある文章を難なく書いている方ばかりで、今の自分の置かれている状況と真逆で、正直言って羨ましい。
とはいえ、一度読んだだけでは伝わってこない努力があることはわかっているし、今いる場所に辿り着くまでに並々ならぬ苦労があったことは想像に難くない。
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そのひとつに、「milieu」というメディアがある。いや、有名だけどさ。知らなかったんだ。恥ずかしながら。
僕は一瞬にして、運営している塩谷舞さん(@ciotan)が書く文章の虜になってしまった。彼女の滑らかで優しく、それでいて力強い文章は、僕の心に響くのに十分だった。
心に響くだけだったら、どれほどよかったか。
突如として自分の周りに高い壁が現れて、圧倒的な実力の差を見せつけられて、前にも後ろにも進むことができず、僕はその場で立ちすくんでしまった。それが昨日の話だ。
ブログとは「個人メディア」なのか。
キーボードをひたすら叩いて紡ぎ出した文章。1記事は5分程度で読み終わるようなちっぽけなものであっても、それが積み重なっていくと、集合体は「筆者自身」の輪郭をくっきりと表すできるほどの情報を帯びている。
だからこそ、その輪郭を形成する記事のひとつひとつを丁寧に仕上げる必要があるし、一瞬たりとも気が抜けないはずだ。
このようなこだわりが、記事を書くことへのハードルをより一層高めているのかもしれない。でも、読み終わって物足りなく感じる記事は書きたくないし、それこそ読者の時間を奪うことになる。だからこのスタンスは変えない。
個人ブログを、次の段階へ。
このブログは、まだまだ「ブログ」としての体裁を保っている。毎日決まった時間に更新があるわけでもなく、僕が書きたいことを好き勝手に書いている以上、「ただのブログ」という殻を脱することはできない。
でも少しだけ本心を話すと、このブログを次の段階へ、すなわち「メディア」と呼ぶことができるレベルへと昇華させたいと考えている。誰かにインタビューしたり、コラボしたり、他人を巻き込んで一緒に高めていけるもの。ここまで達すれば、メディアを自称してもいいだろう。
確かに、僕が「メディアだ!」と言い張ればそうなるのかもしれないけれど、そんな厚かましいことをする勇気は、いまの僕は持ち合わせていない。
そのためには、ファンが必要。
こうやって自分の考えを文章にして伝えようとしているのは、ブログの輪郭をはっきりとさせるためだ。その輪郭がはっきりとすればするほど、賛同してくれる人も出てくるだろうし、反発が生まれる可能性だってある。
賛同してくれる人、すなわち「ファン」を増やすには、はっきりとした輪郭が必要だ。だからこそ、自分の意見をもっと主張しなければならない。個人ブログである以上、「ブログのファン = 筆者のファン」という図式が成り立つ。
有名になっているブログやメディアには、ある程度のファンがいる。新しい記事を出すとファンから好意的な反応が返ってきて、それが次の記事を出すモチベーションにつながる。こんな好循環が生まれるのだろう。
常に新しいものを作り続けなければならないというプレッシャーは、尋常ではない。
ネタが切れたときにこそ、そのブログ(つまりは筆者)の真価が問われるのではないか、と最近思うようになった。これまで書いてこなかった新しいジャンルに挑戦し、新たなファンを増やすか、更新頻度が落ち、既存のファンすらも離れていくか。
だからこそ、常にアンテナを張り続けなければならないのだ。
「アウトプットの質は、インプットの量に比例する」
誰が言い出したかは知らないけれども、このような言葉がある。
確かに、的を射ている。これまで自分が触れてきたこと、体験してきたこと、感じたこと、考えたこと。そのすべてをもって、いまの自分がいるからこそ、この文章を紡ぎ出すことができている。
だから、「アウトプットの質は、インプットの量に比例する」のだろう。
この言葉が意味しているのは、単にそれだけではなく、「質のいいアウトプットをするためには絶えずインプットし続けなさい」という助言の側面もある。
しかし、この助言にしたがって良質なインプットをすればするほど、アウトプットされた結果を稚拙に感じてしまい、結局何がしたかったのかわからなくなる。
もっと正確に言えば、インプットが良質すぎると、低品質な自分のアウトプットにうんざりしていまい、そういうことを考えている間に記事を書くタイミングを失い、アウトプットしたかったものが雲に隠れてしまうのだ。
その結果、書きかけていた記事は一向に筆が進まないし、新しい記事のアイデアも出てこない。八方塞がりだ。
でも立ち止まったらいけない。
だからこうやって、「いま考えていることを文章にする」という、新しい挑戦の種を蒔いている。
インプットとアウトプットの狭間で動けなくなった僕が為すべきこと。
それは、立ち止まらずに動き続けようとすることだ。高い壁に囲まれて、どれだけ身動きがとれなくても、その壁に屈することなく、動き続けるんだという意思を持つこと。
高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいいもんな
まだ限界なんて認めちゃいないさ
こう歌った歌があったけれど、高い壁を乗り越えた先には、何重もの古い皮から脱皮した自分が待っていると信じて、ひたすら動き続けるしかない。