車1台がなんとか通れる山道を上った先には、おおよそその場所には似つかわしくない巨大な構造物がそびえ立っていました。
久しぶりのブログ。そして、久しぶりの「Drive! on cube」。このシリーズを前回書いたのは2016年8月のことでした。今回ドライブしてみたのは、長崎県の北部に位置する「松浦市」。生まれて初めて行ってみたのですが、道の駅で情報収集していたら面白そうなものを見つけたので行ってみました、というお話。
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長崎県松浦市
松浦市は長崎県の北部に位置する、人口2万人あまりの街。
Wikipediaから引用すると
律令制下では肥前国松浦郡の区域とされた。平安時代後期の延久元年(1069年)、源氏(嵯峨源氏)の流れを汲む源久が松浦郡宇野御厨の検校となり、現在の市域にあたる梶谷に住み松浦久と名乗り、太夫判官と称して松浦郡・彼杵郡の一部及び壱岐郡を治めた。この松浦久のもとで松浦党と呼ばれる武士団が結成された。松浦党は水軍として有名で、元寇でも活躍している。
とのこと。なるほど。
道の駅で情報収集
行き当たりばったりでここまで来てみたものの、初めて来た土地なので右も左もわからない状態です。なので面白いネタを探しに道の駅に赴いてみました。
案内板を見ていると、他のと比べてなんだか違うオーラを放つ写真がありました。
拡大。
星鹿城山?なんだこれ!?なんか綺麗そうだぞ!でもそもそも何て読むんだ?(後で調べたら「ほしか・じょうやま」でした。)
という経緯で、早速行ってみることにしました。
山道を抜けると
道の駅から15分くらい車を走らせ、発電所を横目にして、漁港を越え、Googleマップに案内されるがままに運転すると、こんな道に辿り着きました。
おいおい、絶対間違ってるよ。でもUターンできないし。。。対向車来たら終わりだよなー。とか思っていると、
合ってたみたいです。ここまで通ってきた道と全く似つかわしくない巨大な構造物が目の前に現れました。
入口には立派な石碑がありました。
星鹿城山(ほしかじょうやま)
建久2年(1191)、源頼朝の命でこの地に下向した加藤左衛門重氏がこの地に刈萱城を築き、その後城を棄てて紀州高野山に移ったと伝えられています。
→ ながさき旅ネット
近づいてみましょう。
おお、意外と高いぞ…!最上部はビル3〜4階くらいの高さかな。
調べてみると、この展望台は建築家の黒川紀章さんがデザインしたらしいですね。どうりでかっこいいわけだ。
下の部分が駐車場になっています。早速上ってみましょう。
スロープ3周で最上部へ
カメラを片手にスロープを上ります。
近くで見ると迫力があります。
フォトジェニックな中間地点。
上るごとに少しずつ見晴らしが良くなっていく不思議な感覚です。
まもなく最上部。
到達。
ちなみに、最上部は吊り橋みたいな構造になってるので、人が歩いたり風が吹いたりすると結構揺れます。ちょっと怖かった。
素晴らしい眺めを独り占め
では、最上部からの眺めをご覧いただきましょう。じゃーん!
こちらは北東。中央の島は「鷹島」という島です。風車が並んでいるのが見えますね。寄ってみましょう。
パノラマでご覧ください。
向きを変えて北方向。左奥にうっすら見えているのが壱岐だそうです。
漁船が帰ってきた。
鳥が飛んでる。
続いて南東方向。工場っぽいのは松浦火力発電所。
こちらもパノラマで。
すぐ下の海では何かを養殖してますね。
漁船って意外と速い!
今日は5月中旬並みの陽気だったそうで、ずっと景色を眺めていたかったのですが、帰らないといけない時間になっちゃったので退散することにします。
こんなところでブログ書いたら気持ちいいだろうなー!次来るときはiPadも忘れずに持ってこよう。
最後に
偶然の出会いって本当に貴重。道の駅って侮っちゃいけないですね。有益な情報がいっぱい転がってる。
本当に行って良かったと思える場所ってなかなか出会えないものですが、この展望台には何度でも訪れてみたいと思わせてくれる魅力があります。心がモヤモヤしてるときの気分転換にちょうどいい場所。また来よう。
アクセス
途中に標識があまりないので、ナビを使った方が確実だと思います。わかりにくい道が結構ありました。また、展望台に登る山道は車1台がやっと通れるほどの幅しかないので、運転に自信のない方はやめておいた方がいいかもです。