発信するっていいことしかないよ。
この記事には広告が含まれています。
子どものころから国語が苦手でした。
テストに小説が出るともう最悪。一文に傍線が引かれて「このときの主人公の心情を述べよ」みたいな問題は、ちゃんと正解したことがないです。
絶対これだ!と思ったことを回答用紙に書いても、だいたい間違ってるか、よくても三角。それなのに、よくわからず適当に書いたものに限って正解してることもありました。
自分の頭で一生懸命考えて、これだと思う結論を導き出して、完璧な答案を仕上げたつもりだったのに、容赦なく赤ペンで撥ねられる。
そんな答案が返ってくるたびに「またか」と思って、自分のことが嫌いになってました。きっと自分は他人とズレているんだ、そしてそれは悪いことなんだ、と思い込んでた。
素がこんな感じなので、自分の意見を外に向けるということをあまりしてきませんでした。
たとえば小学校や中学校の頃、クラスの中で話し合うことがありましたよね。文化祭の出し物を決めるときとか、何か問題が起きたときとか。
でも、僕が発言をするとかえって議論が混乱するだけだし、きっと気の強い女子からフルボッコにされるだけなので、思ったことはすべて飲み込むようにしてました。平均的を重視する日本の学校とはそんなものです。
だから、自分の意見を他人に伝えるというのが、とてもとても苦手だったんです。
ここで結論を言うと、それを克服できたのはおそらくブログのおかげです。
オンライン上で輝いてるブロガーが格好良くて、自分もそうなれるかなと思って、なんとなく始めてみたstarnote*。
もちろん初期の頃は全く読まれなかったけど、少しずつ読者の方が増えてくると感想を耳にすることがあります。
嬉しいことに、そのほとんどがポジティブな反応なんです。自分の意見に対してそんな反応を受け取ることが稀だったので、最初は「共感してくれる人がたくさんいる」というのが衝撃的でした。
意外と僕と同じこと思ってる人いるんだ…!と思ってました。発信してみるものですね。
なんだか嬉しくなってきて、記事を書いて反応をもらうというサイクルを繰り返すうちに、自分は発言していいんだ、考えをもっと外に向けていいんだ、という考えが脳みその中に浸透していきました。
人の考え方なんて簡単に矯正できるものではありません。だからたぶん今でもズレたままなんだろうけど、それでもいいかなって思えるようになりました。
つまり、ズレた考えも外に向けていいんです。
たとえば、何人かとディスカッションをする中で、ズレた考え=人と違う視点があるのは重宝されます。僕としてはただ自分が思ったことを発言しただけなのに、それだけで目立てるのはすごくおトクです。今にして思えばね。
昔はそうやって注目を集めるのがすごく嫌だったけど、発信することに慣れた今では抵抗がなくなりました。自分が思ったことはそれだけで価値があると考えるようにしたので、人とズレていても何の問題もないんです。
だからこれからも、ズレているのを自分の強みにして生きていこうと思っています。
最後に。
自分の意見に共感してくれる人が少ないなーと思ってる人、きっと他にもいるよね。
それはきっと割合の問題だと思っていて、発信する対象が増えれば増えるほど、共感してくれる人も増えます。
たとえば共感してくれる割合が5%だとすると、10人に発信しても1人いればいい方です。でも1万人に発信すると500人も共感してくれます。
つまり、発信する対象を増やせば増やすほど、あなたの意見はより多くの人に受け入れてもらえる。だからブログやnoteを使ってオンライン上に自分の意見を置いておくの、すごくオススメですよ。
あ、もしかして、自分の意見なんか発信する価値ないって思ってる? 全然そんなことないから、この記事を読んで。