もっと上の世界を覗くために。
こいつ頭悪いな。
——そんな風に思われないように、人は無意識のうちに頭の回転数を上げる。
議論しているとき、受けた言葉を噛み砕いて飲み込むように、一言一句頭に叩き込む。そして、決して頓珍漢なことを言わないように、同時に多方面に気をつかいながら、言葉を選んで発言する。
日本の中心では頭のいい人たちが論理を武器に本気で殴り合うから、ちょっとでも隙があると途端に漬け込まれる。そのたびに、自分の思考の狭さを実感して落ち込む。
「やっぱり、僕の能力には見合ってないんじゃないかな」
この3か月間、自分の幼さと、不甲斐なさと、考えの甘さを、まるで目の前に大きな鏡が置かれているかのように、全身で受け止めてきた。だから今、僕の体の至るところには目には見えない「論理という痣」がいくつも刻み込まれている。
はっきり言って逃げ出したい。僕の代わりなんていくらでもいるはずだから、すぐに別の人が充てがわれて、何事もなかったかのように業務は回るはずだ。職場の人は僕のことを笑うかもしれないけど、3日もすれば忘れ去られるだろうし、おそらく二度と会うこともなくなる。
でも、ここで逃げたら負けな気がするんだよな。
もっと上の世界を覗いてみたくて、足がつるくらい思いっきり背伸びをして、高望みした結果が今の状況を招いている。それは認めよう。完全に自業自得で、自分の能力を見誤ったのかもしれない。
だけど、もし仮に全く背伸びをしない道を選んでしまっていたら、その先の人生でも上を目指すということを忘れてしまうと思うんだ。成長のない平凡な人生。きっとそれは面白くないはず。
今の僕が置かれているのは、「自分にできるかどうか」ということすら分からない厳しい状況だけど、やってみないとその結果は明らかにならないし、数サイクル回すうちに慣れてくる可能性もある。
少なくとも、結果を明らかにせずに投げ出すのはナンセンスで、PDCAが回らないから次のプランの練りようがない。だから今逃げ出したらこれまでの3か月の経験を水の泡に変えることになる。
もしかしたら、知らず知らずの間に思いっきり成長して、1年後には超絶仕事のできる先輩になっている可能性だってある。今の僕にできるのは、こんな「明るい未来」を想像しながら目の前の仕事を片付けていくこと。それだけなんだ。
背伸びをした結果、いつしかそれが普通になってしまう。
だから、さらに上の世界を覗くためには、もっと背伸びをしないといけない。人が成長していくのはこんなプロセスの繰り返しだから、背伸びをやめた途端そこで成長は止まり退化が始まる。
そうならないために、死ぬまでずっと上の世界を覗き続けなければならないのだ。たとえ結果が芳しくなくても、がんばった自分に誇りを持って、胸を張って視線を上げる。次はきっとうまくいくと信じて。
だから僕らは今日も、背伸びをしながら生きていく。