文章を書くときは、最適な表現を探し求めながら脳汁を絞り出さなきゃいけない。
「いや、ちょっと何言ってるかわからないっす」
最近は、学部生の文章を見ることがよくある。彼ら(と一括りにするのはよくないけれど)が書く文章は、主語述語の関係性が滅茶苦茶であることが多く、言いたいことが自分の中でまとまっていないまま文章化されているから、こんなツッコミを入れたくもなる。
文章を書くことに慣れていないと、自分の考えていることを最適な文章としてそのまま出力することができない。だから、卒論やレポートで支離滅裂になっていることもよくある。
自分は自分の思考をすべて把握しているので、不完全な文章を読んだときに記憶を使って補完することができる。でも、他人がその文章を読んでも補完機能は作動しない。
だからこそ、文章を紡ぎ出すときは、脳内に湧き上がっている思考を丁寧に拾い上げる作業が必要になる。
つまり、脳がカラカラになるまで絞り出すようなイメージ。考えて考えて考え抜いて、脳汁の最後の1滴まで文章に変換する。
最初のうちは、すぐにカラカラになるように感じるかもしれない。でも、それはきっと気のせいで、絞り出せばもっと脳汁が出てくるに決まっている。
要は、脳の絞り方を知らないのだ。
濡らしたぞうきんを絞るときだってそう。一方向から絞って、もう水が出てこないほど固く絞っても、一度広がして絞る方向を変えると、まだ水が出てくる。
文章を紡ぎ出すのが苦手な人は、脳を一方向からしか絞っていない。つまり、最初に出力された文章をそのまま使ってしまうのだ。
考えれば考えるほど「こういう風に表現を変えればもっと分かりやすくなるかなー」「この文章は前に持ってきた方がいいな」というような閃きが生まれる。そして修正する。書き足す。順番を変える。
これこそが、「別の方向から脳を絞る」ことだと思うんだ。
このような経験を何度も繰り返すうちに、最初から最適な表現で出力されるようになる。この状態に持って行くには、ひたすら書き続けて訓練するしかない。
だから、もっと文章を書こう。綴ろう。絞り出そう。そうすれば、自ずと光は射してくるはずだ。