早いもので3年ですよ。
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この8月で転職して3年が経ったので、思うところを書いておこう。どんな内容を書くか全く決めていないので、筆(キーボード)が進むがままに文章を書いていきます。
僕は薬学の博士課程を修了した後、霞が関のお役所で2年4か月ほど働いて、今の仕事に転職しました。それから3年が経った時点で振り返ってみると、100%満足しているわけではないけど(それはどんな仕事であってもそうだと思う)、転職してよかったと思っています。
以前働いていた霞が関のお役所とは、具体的にはPMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)という厚生労働省所管の独立行政法人で、医薬品や医療機器の承認審査などを行っているような機関です。
医療機器にはクラス分類という名の例外があれど、メーカーが新医薬品や新医療機器を開発した際は、基本的に厚生労働大臣の承認を受けないと正規ルートで販売することができません。そのときに大臣が承認していいかどうか判断するために、科学的根拠に基づいて審査を行っていたというわけ。
一方、今は医療系のIT企業に転職して働いています。変化の早い業界なのでこの3年間でやることが移り変わってきましたが、エビデンスを作るための臨床研究やその他のプロジェクトマネジメントから始まり、今は生成AI関連の新製品開発におけるPdM(プロダクトマネージャー)をやったりしています。
なぜPMDAに就職したのか
PMDAに関しては、そもそも就職した理由も、そして転職を考えた理由も「霞が関のお役所」だったからでして。
かなり打算的な理由かもしれないけれど、当初PMDAに就職を決めたのは【肩書きを手に入れる】という目的が大きかったです。
文字通り霞が関のお役所なので、そこで働いたことがあるということ自体が今後のキャリアにプラスになる。特にヘルスケア業界では国の規制が厳しいので、その規制当局にいた人が重宝・評価される場面があるのです。
これは今でも「元PMDAの人」という感じで紹介されることもあり、実際に正しかったなと思っている次第。
それに加え、出身大学や研究室としてもPMDAに就職した人がいるということが後輩の励みにもなるし、就職先を重視する受験生にとっても分かりやすいベンチマークとなりえます。そういう意味でもファーストキャリアは業界で評価される大きな組織に入りたかったのです。
もちろん、肩書きを手に入れるだけじゃなくて、実際に働いてみて血肉となっている部分もありますよ。
僕は医薬品の審査をしていたのですが、そのためには治験に関する知識を深く理解する必要があるし、臨床試験とはどのようなデザインでもって行うものかなど、実際の現場で働いてみないと身につかない知識がたくさんありました。
ここでは多くを語りませんので、具体的にはこちらを。1万字でがっつり振り返った記事なのでぜひ。
▶ 「博士に進学する」選択の先にあった未来。一気に駆け抜けたのはよかったか?
PMDAの退職を考え始めた
——というような感じでPMDAに就職したものの、転職を検討し始めたのも「霞が関のお役所」だったからです。端的に言うと【文化が合わなかった】。
最初から分かってたんですけどね。たぶん効率を重視して最短ルートで結果に結びつけようとする僕の性格を踏まえると、効率なんて度外視で正しさや整合性を追求するお役所は合わないだろうと。だから最初から3年くらい経験したら転職する計画だったんです。
実際に入ってみた結果、やっぱりそうだったという感じ。社内文書にすら明確にフォーマットが決まっているし(内容さえ分かればいいのにね)、在宅勤務の頻度や時間にも明確にルールを決めたがる(どこでやっても同じ仕事するんだからどこでもよくない?)。目的から逆算したときに全く本質ではない部分に対して多くの工数を充て、彼らのお作法における正しさや整合性を重視すると。
このような「無意味な丁寧さ」は僕には耐えられませんでした。最初は社会的意義の大きい仕事だから耐えられるかもしれないと思っていたけれど、そんなもので自分のモチベーションを維持するのは難しかった。それだけでなく、文化の合わない組織で働くことに対してメンタルがやられていました。
だから1年くらいで辞めたかったのですが、さすがにキャリア的にマイナスになる気がしたので踏みとどまりました。でも3年いるのはメンタルが持たない気がして、2年が経った時点で転職活動を始め、意外とすんなり今の会社に決まったというわけです。
スピード感を重視するIT企業へ
そんな感じでIT企業に転職しました。いちばんカルチャーショックだったのは、物事が進んでいくスピードがとても速いこと。
そもそもIT業界自体がそういうスピードで回っていることに加え、うちの会社の場合は社長との距離が近いから、一瞬で物事が決まっていきます。そのスピードに合わせて資料を作ったり会議を組んだりしないといけないから、最初のうちは全然ペースが掴めずに大変でした。今ではもう慣れましたが。
霞が関のお役所の場合は、ゆっくりと時間をかけてもいいから正しさや整合性を重視してきたから、本当に真逆の方向性だったのです。もちろんそんなやり方を否定するわけではなくて、規制当局という立場では重要な視点だと思っています。
しかし、IT企業は多少粗くてもいいからスピード感を持ってプロジェクトを進めていくことが求められる。お役所とは正反対なので、同じような正しさを求めるとスピードについていけずに息切れしてしまっていたのです。
上司も僕がそういう状態だったことに気づいたのか、めっちゃ気にかけてくれていました。だから僕はこのスピード感に慣れることができたのだと思います。感謝してもしきれませんね。
スタートアップに入ったつもりが
転職したのは社員100人程度のスタートアップでした。霞が関の大きな組織から小さなスタートアップに入るのは、まるで冒険のようで楽しいはず。そう思って入社したのですが、気づけば大きい会社に買収されて、今ではその一員になっています。
大きい会社と言ってもそこもIT企業なので、文化が合わないようなことは全くなくて、頭が切れる優秀な方々と一緒に楽しく働いています。
入社してしばらくは、既存の製品を組み合わせてエビデンスを作る臨床研究をやったりとか、開発したアプリの医療機器認証の取得をやったりとか、博士課程やPMDAでやってきたことをフルに使うようなプロジェクトを回していました。
今ではそこから少し外れて、生成AIを使った新しいサービスの開発をやっています。直近のスコープを見ると医療から少し離れているけれど、最終的には医療に繋がって日本の医療や介護の質をさらに向上させるような取り組み。ざっくり言うとこんな感じです。
そしてお給料という観点では、転職のオファー時に結構な額を積んでもらったんだけれど、そこから何回かの給与改定があって順調に上がっています。これはちゃんと評価していただいた上司に感謝ですね。
3年が経った今思うこと
転職して3年が経ちましたが、あのとき転職するという判断を下して本当によかったと思っています。その理由は、
- タイミングを逃さなかったこと
- 自分にマッチした企業文化があること
- 在宅勤務を中心にした働き方ができること
という3点に収束するような気がしていて。
ブルーオーシャンのヘルステック業界に早めに身を置いて、業界や会社とともに自分も成長できるといいなと。当時もそう思っていたし、今でもその思いは変わりません。
ただ、タイミングやご縁というものは非常に重要でして、あのタイミングだったからこそすんなりと採用してもらえたのだと思えるし(今だったら入るの難しそうな気がする)、成長する業界とともにいろんな知識を吸収することができました。
また、楽しく働く上では企業文化もとても重要だということを前職で思い知ったので、その点も重視していました。
最終面接のときに社長がオフィスを案内してくれたのですが、研究室のような和やかな雰囲気で皆さん仕事しているのがとても印象的だったんですよ。その印象は入社後も変わらなかったし、大きな会社に買収されても変わらなかった。会社というより自分がいるチームに恵まれていると言われればそうかもしれませんけどね。
それから、IT企業ゆえの在宅勤務を中心とした働き方も自分にはめちゃめちゃ合っています。そもそもオフィスに全員分の座席がなく、出社勤務に後戻りできないほど会社として在宅勤務を推し進めてしまっているんです。
僕が会社行かなすぎなだけかもしれませんが、直近だと5月は2回、6月はゼロ、7月は1回しか出社していません。今後子育てする可能性も考えると、軽く年収+200万円分くらいの価値がある気がしています。
今後はどうする?
そして、今後はどうするか。
すでに前職にいた期間を超えてしまっていますが、今のところ転職するつもりはありません。今進めているプロジェクトもリリースまで見守りたいし、その先も解決すべき課題はまだまだたくさんあるからです。
だから今辞めたところで「よくやった!卒業!」という感覚は一切なく、中途半端なところで投げ出して終わりなんですよ。だから今じゃない気がしている。
とはいえ、人生守りに入ってるなーと思える場面もあるんですよね。リスクを冒して新しいチャレンジをしていないし、自分のコンフォートゾーンの中だけで仕事している感覚。それじゃあ次の成長はないよなあ。
まあ、すでに家庭を持っていて子どもも考え始めているような状況なので、安定志向になるのは仕方のないことなのかもしれません。それでも、あまりにも安定さに振りすぎているような気がしているのです。
仕事以外に目を向けてみても、ブログは10年目に突入し、もはや新鮮さは全くないんだよな。だから発信活動で新しいチャレンジをしてもいいかもしれないね。
——という感じで、今後の方針は明確に決まっているわけではないのですが、とりあえずは今の生活の延長線上にあることを続けるのだと思います。その中で、どのようなチャレンジができるのか考えましょうかね。