とりあえずカメラも持っていこう。
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とある休日の夕方。
いつものように犬を散歩しようとしていたところ、せっかくだから車でちょっと離れた公園まで行って、そこで散歩したらいいんじゃないかと、妻が提案してくれました。日も傾いてきて公園も空いているだろうし、ちょうどいいと思って向かうことにしたのです。
近所の散歩だったらカメラを持っていくことはほとんどなく、ただ散歩して帰ってくるだけ。今回もそのつもりでスマホと財布だけを持っていこうとしたのですが、いや待てよと。せっかくの公園だから、もしかするといい写真が撮れるかもしれないし、念のためカメラも持っていこう。
撮るかどうかも分からないし、大きなカメラは何だか大袈裟な気がしたから、小さなカメラがよかった。こういうときにGR IIIxはとても重宝します。
実際に公園で散歩を始めてみると、犬の毛並みがハイライトされるようないい光が射していました。ああカメラを持ってきてよかった!と心の中でガッツポーズ。そして、他のコンデジではなく、センサーの大きなGR IIIxを持ってきてよかった。
何枚か撮っていると、カメラの小さな画面上のプレビューですら、とてもいい写真だということが分かります。そのくらい、心を打たれる写真が量産されていました。コンデジなのにこんな画が出てくるのすごすぎるよ。
ただ、画面はチルトしないし、オートフォーカスも心許ないから、使い勝手はお世辞にもあまりよくありません。被写体と向き合って写真を撮るというよりは、カメラを操作することに気が向きがち。
それでも帰って大きな画面で見てみると、がんばった甲斐がある写真が並んでいました。RAWで撮影してLightroom Classicに取り込み、色味は作り込んだから、撮って出しとはかなり違う色になっています。でも、今日の公園はこんな色が広がっていた気がする。
そりゃあ、α7 IIIやX-T4を持ち出した方が使い勝手がいいし、心を打たれる写真が撮れるのは間違いない。でも、もしシャッターチャンスが来たらGR IIIxで撮るんだと意気込んで、ちょっぴり苦労しながら撮った写真には何倍もの嬉しさがあります。
だって、そもそも写真を撮るつもりがなかったのにいい写真がたくさん生み出されたら、とても嬉しいじゃないですか。そういうもんです。
これこそが、GR IIIxを持ち歩くことの意義だと思うんだよな。撮るかどうか分からないけど持ち歩いておいて、偶然訪れたシャッターチャンスを逃さない。少しくらい使い勝手が悪くても、そんなことどうでもよくなってしまうくらい、GR IIIxには惹かれるものがあるんです。