行き当たりばったりだな。
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「また遠回りばかりしてる」
——僕がつまずいたとき、いつも思うことです。最短距離で進む嗅覚があれば一瞬でたどり着くことができるような場所も、遠回りして、寄り道して。
第三者的な視点から見るとのんびり歩いているように見えるのだろうけど、当の本人はそんな自分が嫌になっています。だから、「また遠回りばかりしてる自分が嫌い」と、ネガティブ思考に陥ったりする。
でも、これまで歩いてきた道を引き返すことは決して叶わないし、今ある自分を受け止めて進んでいくしかない。そう思えるようになったのは、この1年くらいです。
いつか話した気がするけれど(あ、ラジオで喋ったんだ)、僕は小学校の頃スイミングスクールに通っていました。
顔を濡らすのすら嫌っていた僕を水に慣らすために、小学1年生の夏休みに夏期講習に連れて行かれたのが発端。そのあと正式に入会して10級からスタートしました。
そのスイミングスクールは、10級→9級→8級→…→1級と位が上がっていくシステムでした。バタ足からはじめて、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライと、泳ぎ方を一通りマスターできるようなカリキュラム。
早い人だったら、10級から1級に上がるのに3〜4年くらいだったような気がします。でも僕は、1級になれたのは6年生のときでした。上がれたときは嬉しかったし、よく6年間も続けたとは思います。
でも遠回りしちゃったな。初めてそう思ったのはこのときかもしれません。他の人より2倍近くも長くかけちゃった。
次の遠回りは、大学受験。
僕は高校生のとき捻くれていて、「勉強ばかりしたところで何が変わるの? いい大学に行ったところでそんなに人生変わらなくない?」と思っていました。
県内でトップレベルの進学校に在籍していたことや、高校受験は推薦入試で苦労しなかったことも相まって、半強制的に勉強させられる環境にうんざりしていたのだと思います。
もちろん、現役生としての大学受験はうまくいきませんでした。センター試験は半分も取れなかったんじゃないかな。もう目も当てられない状況。
だから結果として2年間も浪人することになって、普通なら3年間で終わるはずの高校の内容を5年間も勉強することに。
ほら、また遠回りしてる。
6年間にも及ぶ薬学部を卒業して博士課程に進学したのが、最近の遠回り。4年間も時間を使って、20代の10年間を大学(大学院)に費やして。
進学する決断をしたときはあまり迷わず、軽い気持ちで選んだ気がします。時間の重みを感じるようになったのは、30歳を間近にした28〜29歳くらいのときだったかな。
幸いなことに、このときはもう自分の論文が出ていて、修了が確約されたような状況だったので、目も当てられないほど捻くれるようなことはありませんでした。
こうしてなんとか4年間修めて、博士号をゲットしました。得たものも大きいけれど、過ぎ去ってしまった時間はもう戻ってこない。だからこれも、遠回りといえば遠回り。
いつも遠回りばかりで少しは反省してるので、これからは真っ直ぐ進みたいと思っています。
でも、そう思いながら一歩ずつ着実に進んでいるつもりでも、後ろを振り返ればその足跡はグネグネに曲がってるんだろうな。そんなものかな。
自分の人生だから、遠回りした分は自分に跳ね返ってきます。それを受け入れられるのであれば、このままでいいのかな。
遠回りするたびに反省するとしても、後悔はしないようにしたい。だから大きな選択をするときは、きちんと考えるようにしよう。
こんなことを考えた、8月はじめの日。