11年間ありがとう。
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2009年8月はじめ、とても暑い、晴れの日だったのを覚えている。
大学に入学して4か月、数日前に車の免許を取ったばかりの僕は、日産のディーラーまでキューブを引き取りに行った。一通り説明を受けて乗り込んだはいいものの、ひとりで運転した経験がほとんどなかった僕は(だってまだ免許を取って数日だ)、自らの覚束ないハンドルさばきに不安を感じつつも、なんとか家まで辿り着いた。
このときはちょうどテスト期間中で、友だちと一緒に大学の図書館で勉強をしようと約束していた。有機化学が全くわからなかった(本当に呪文を覚えるようで苦痛だった!)ので、友だちに教えて貰おうと思って、厚い教科書を何冊も抱えてキューブに積み込み、大学へと向かった。
図書館に着くともうみんなは勉強を始めていて、僕もそこに加わった。最初の2〜3時間はちゃんと勉強していたけれど、案の定おしゃべり会になり、そのままドライブ行こうとなり、少し遠くの道の駅まで海沿いを走った。今ではいい思い出だ。
自分の都合でどこにでも行ける移動手段を手にした僕は、思い立った瞬間にハンドルを握って出かけていた気がする。佐世保バーガーを食べに佐世保まで行ったり、ハウステンボスに寄り道してみたり、鍋冠山から長崎の街を見下ろしたり、天気のいい海沿いをドライブしたり。
1回だけ、路肩に雪が残っていた日にパンクさせたことがある。原因は全くわからなかったけれど、おそらく雪の中にガラスの破片でも入っていたのだろう。納車から現在まで、最初で最後のハプニングだった。
新車のキューブにするか、中古のMINIにするか、それとも他の選択肢はないか、買う前は相当悩んだ。だけど、これからの大学生活で人を乗せることがたくさんある気がして、みんなで快適に移動できるキューブを選んだ。その結果、サークルの合宿や研究室旅行など、あらゆる場面で大活躍だった。この選択は正しかったと今でも思っている。
当時僕は薬学部内の軽音サークルに入っていたけれど、合宿とは名ばかりだった。コテージのあるキャンプ場に行き、バーベキューをして、水鉄砲合戦をして、花火をして、肝試しをして、翌朝には雲仙温泉に入って、昼食にバイキングを食べて帰る、という大学生にありがちなやつだ。
また、大学4年生のときの研究室旅行では、阿蘇にパラグライダーをしに行った。みんなで数台の車に分かれて1泊2日で阿蘇に向かい、角煮丼と食べ、焼肉を食べ、岩盤浴めぐりをし、パラグライダーをして、長崎に帰るという旅行だった。初めて経験したパラグライダーだったけれど、それはとても楽しいものだった。
思い返してみると、このような楽しい思い出のそばには、いつもキューブがいた。
いくつもの季節を、キューブとともに越えてきた。
桜が咲いたらいろんな場所に見に行ったし、夏の強い日差しの下でも力強く走り、秋の足音が聞こえてきたらその音のする方向へ、厳しい冬の間も嫌な顔ひとつせず、僕をいろんな場所に運んでくれた。
また、ただ移動するだけでなく、ときにはカラオケボックスとなり、ときには見晴らしのいいカフェになり、ときには夜景の見える展望台になり、いろんな役割を果たしてくれた。思い返してみると、強烈に残っている思い出たちは、ほとんどがキューブの中での出来事だ。
あるときは、キューブに荷物を詰め込んで、長崎から東京へ引っ越しをした。
実家の自分の部屋から少しずつ荷物を運び出した。重いものは下にしつつ、走行中にできるだけ崩れないように慎重に積み上げていくのには、1週間もかかった。長崎から東京まで自分で運転して行くわけだけれど、距離にして約1200km、時間にして(ぶっ続けで走って)15時間ほどだ。
出発前は本当に自分にそんな偉業を成し遂げることができるのか不安だったけれど、実際に走ってみると思いのほか楽しくて、ロングドライブの楽しさを身をもって体感することができた。それから1年あまりで2回ほど、長崎に車で帰省した。こんな楽しさを教えてくれたのもキューブだ。
関東に来てからも、おいしい食べ物や美しい景色を求めて、いろんなところを走り回った。宇都宮の餃子、沼津のアジフライ、静岡のハンバーグ(さわやか)。山中湖で星を撮ったり、房総半島を走り回ったり、夜の横浜を駆けめぐったり、箱根の温泉で息抜きしたりした。
そんな僕の生活の一端は、今日からCX-5が担うことになる。キューブもまだまだ元気だけど、さすがに11年・11万kmも走ると、そろそろガタがきてもおかしくない。だから手放すなら今だと信じて、買い替える決断をした。
思えば、11年間。
つまり、人生の3分の1以上もの間、僕は君と一緒に過ごしてきた。
僕の心に刻まれている愉快な思い出も、エグいくらいの傷跡も。その記憶を遡ってみると、片隅にはいつも君がいる。大学生活が始まってから、博士課程に進学し、東京で就職し、今のように自力で生活を成り立たせるまでの11年間、僕のそばには君がいて、いつしかそれが当たり前になり、ずっと続くことのように感じていた。
しかし、僕は今、君に別れを告げようとしている。
僕が手放したあと、君がこの先どうなるかは僕には知る術もない。他の人のもとに渡って元気に活躍するかもしれないし、海外に行ってしまうかもしれない。もしかすると、考えたくはないけれど、スクラップになってしまうかもしれない——。
昨夜、最後の洗車をしてきた。11年間もお世話になったのに、最後に目に焼き付けるのが薄汚れた姿なのは申し訳なくて、隅々までピカピカに。まるで新車のように。
そして、ついさっき、朝焼けの時間帯に、最後のドライブをしてきた。首都高を通って、横浜ベイブリッジそばの大黒PAへ。合流のときのフル加速、右ウインカーの感触、速度を出すとしっかりと重くなるステアリング。すべてを噛み締めるように、ひとつひとつの動作を丁寧に、11年間の感謝を込めて、音楽もかけずに、ただただ走った。
112,553km。
君と一緒に経験してきた思い出は、僕の一生の宝物となった。この先僕がどんな人生を過ごそうとも、君に乗っていたという記憶はなくなることはないのだろう。その記憶に新たなページが追加されることはもう無いけれど、これまでの歩みをしっかりと胸に抱えて、これからも過ごしていこう。
だから、本当に本当に、11年間、ありがとう。
そして、さようなら。