迷ってる暇があったら、さっさと飛び込んでみればいいのに。

そうすれば、新しい自分が新しい世界を作ることができる。

「迷い」とは。

新しいことを始めたい。登山を始めたい、ダイビングを始めたい、Webデザインの勉強を始めたい、大学に入り直して人生をやり直したい。

内容はもちろん人それぞれ。でも、「迷う」というプロセスは、みんな同じだ。

そもそも、やってみたいという気持ちが全くなかったら、「迷う」という状況に陥らない。だから「迷っている段階」で踏みとどまってしまうのは、すごくもったいないことだ。早く飛び込んでしまえば、自分の可能性をもっと広げられるかもしれないのに。

結局のところ、「やらない」という選択をするための「言い訳」を探しているだけだと思うんだ。新しいことをするのが怖いから。自分に合うかどうかわからないから。長続きするかどうかわからないから。

そんなの、手を出してみないとわからないじゃん。

実際に、自分のものに落とし込まないと、自分に合うか合わないかなんて判断できないはずなのに、どうしてその前で踏みとどまってしまうの?

僕の場合は、こうだ。


たとえば、カメラ。

全く知識の無かった僕がカメラを買ったのは、今からおよそ6年前の2012年夏。なんとなく「いいカメラを買ったらきれいな写真が撮れるかもー」というふんわりした動機で買った。十数万だ。決して安い買い物ではない。

だからといって特に撮りたいものはなかった。せっかく撮るならスマホより「ちょっといいカメラ」の方がきれいに撮れる気がしたから、買った。それだけだ。

だって「何が被写体となり得るか」なんて、ある程度経験を積まないとわからないじゃないか。実際に「自分の」カメラを手にして、何枚も何枚も写真を撮っているうちに、なんとなく感覚としてわかってくるもの。だから、その経験を積むにはカメラを「買う」必要がある。

買った当時はすべてオートで撮影し、背景をぼかせることだけで満足していた。絞り? シャッタースピード? 露出? RAW現像? なんだか難しそうだからオートでいいや。それっぽく撮れるし。こんな具合だった。

それが今では、ブログに載せる写真がきれいだと言ってもらえる程にはなった。新しいカメラを買って、さらに次のステップへと進もうと思えるようにもなった。

でも、もし6年前にカメラを買わなければ、僕の知識はゼロのままでストップしていただろう。あのとき、カメラを買おうと思った僕がいたからこそ、今の僕がいる。


たとえば、楽器。

僕がギターを買ったのは2009年春。大学1年生になって、友人に連れられるがまま入った軽音楽サークルで、ボーカルをやることになった。

でも、歌うだけでは芸が無いだろうと思った僕は(メンバーからの強制力も若干働いたが)、ギターを買うことにした。サークルがお世話になっている楽器屋で、Squier by Fenderのエレキを1本。若干遅れてIbanezのエレアコを1本。

黒光りしてかっこいいエレキと、木目の美しいエレアコ。それはそれは、買った当時は大満足で、絶対に使いこなしてやると意気込んでいた。

そのサークルは学部内のメンバーだけで構成されていた。本気で音楽をやりたい人が集まっているというよりは、カジュアルに演奏だけできればいいよね、という雰囲気だった。だから、自作の曲を作るなんてことは極めて稀で、既存曲のコピーばかりしていた。

僕は、そのような緩い雰囲気に居心地のよさを感じていた反面、自分を高められる環境ではないということも理解していた。今にして思えば、弾くのが上手な先輩に習うとか、もっと自分から動いてみればよかったのかなと思っている。

そうこうしているうちに、楽器への興味が薄れていってしまった。と同時に、興味の対象がカメラへと向くことになる。

ギターは自分には合わなかった。いまではクローゼットの肥やしになっている。が、自分で買わないと「合わない」という結論には至ることができなかった。

それでも処分せずにいるのは、またいつか弾きたいと思ったときのため。その「いつか」がいつ来るのかはわからないが。


たとえば、ブログ。

過去の記事を遡ってもらえばわかるように、このブログに初めて記事を投稿したのは2015年7月。当初の目的は、ネット上に転がっていなかった情報を共有するための場所を作ること、だった。

五島列島・奈留島に行ってきた〈その1〉

しかし、そんな方向性では書くネタはなかなか見つからず、考えるのがだんだん面倒臭くなってしまって、8か月間も放置してしまう。

正直に白状すると、僕は物事を為すときにコツコツ努力するタイプの人間ではない。だから、最初のうちは誰にも読んでもらえず全く成果が実感できない「ブログ」というものは、向いていないと思っていたのだ。

いつもの僕なら、ここで投げ出して次の興味の対象を探してみるところだ。しかしよく考えてみると、数多くの読者を惹きつけているブログでも、1日に数PVしかない時期だってあったはず。それでもコツコツ更新することで実績を積み上げてきたのだ。

だから、今回は少しだけ粘ってみようと思った。

今では、僕の全ての行動の中心に「starnote*」がある。何かを経験すると、それをブログに書き、読者と共有する。この流れが心地よいものになってきた。

最初は自分に合わないと思えたものでも、続けるうちに少しずつ成果が見え始め、自分にとって無くてはならない存在になることだってある。僕にとってはそれが「ブログ」だった。やってみないとわからなかったことだ。


迷ってる暇があったら、さっさと飛び込んでみればいいのに。

もし自分に合わなかったら、早くやめる。そして、次に飛び込んでみるものを探す。そうすれば、貴重な人生の時間をかけて打ち込みたいと思えるものがきっと見つかる。

迷いは捨てよう。新しいことを成し遂げようとするときには、苦しみがつきものだ。それを乗り越えなければ、次へは進めない。

だけどその苦しみはすぐに終わる。むしろ、苦しみを乗り越えたことが原動力になって、さらに前に進める。

だから、ちょっぴり我慢して、新しいことに飛び込んでみようじゃないか。

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